ここからは観光コースを逸れて行きます。

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河岸の近く、少し奥まった所に木造洋風建築が見えたため、寄ってみました。こちらは栃木病院。1913年建造の有形文化財です。

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「引き」が無いんです。路地が狭すぎて。そしてなんと、現役で診察されています。具合悪かったら中も見れたのに。(笑)

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一方こちら、蔵の街大通りの奥(新栃木側)にも木造洋風建築を見かけました。しかしこちらは廃墟化。

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看板もその痕跡も見られないまま、何の建物だろうと右手に廻ればこの有り様。すでに屋根が崩れかけてます。

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左手に廻って見ました。すると良く見れば病室入り口の文字が。病院だったようです。それにしても文化財指定された栃木病院とされなかったこの病院との、運命の差がエグい。

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裏手に廻って見ると立派な門構え。院長の邸宅でしょうか。付近には処方せん薬局もあり、病院は廃業ではなく移転したのかと捜査を続けます。(笑)

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関口病院。んー、何とも言えない。あの立派な廃病院と同一の病院か否かは定かではありません。

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さて、新栃木には行かず、栃木駅に戻って行きます。「栃木市歴史的町並み景観形式地区」に指定され、平成2年より建物修景に対する補助金を交付されて綺麗になった表通りから一歩裏に入って行きます。するといきなり傾き過ぎな住宅が。しかも手前右手の無事な部分で住んでいらっしゃる様子。

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廃アパート。住んでない……よね?

ところで今回栃木市を訪れた本当の目的は、私の好きなサイトのひとつで、たまに参考にさせて頂いたりもする所で、衝撃的な写真を見たのがきっかけ。その写真がこちらです。

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2015年9月の様子。「レトロな風景を訪ねて」様に特別に許可を頂き転載させてもらいました。感謝!
そして先日、2019年4月22日に撮って来たのが下の写真。

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どちらも巴波川に架かる新開橋側から富士見町を見たところです。左手奥の方の屋根と電柱の配置以外、ほとんど変わってしまいました。

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ただ、右側手前の一軒のみ残っています。かつて遊里が存在したと言う情報はあるものの、確証は掴めず。

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しかし更に奥の路地を分け入ってみたら、廃村のような光景は健在でした。健在って言い方おかしいか。

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住んでおられる家も多いのですが、空き家となった倒壊危険家屋も多い。

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なんでしょう。蔵の街大通りの文化財建築群を撮っている時よりもウキウキしている自分がいます。

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なんだか、だんだん意味が変わって来ているような気もして来ました。この一帯は何なのか。

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想像で滅多な事を言ってはいけないのですが、歩いてて朝鮮部落っぽい雰囲気すら。ちょっと引き続き調べてみたくなりました。

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閑話休題。最後に大通りを挟んで東側を少し歩きます。

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この辺が栃木駅近くで唯一のスナック街でしょうか。旭町になります。

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元料亭でしょうか。この界隈には市役所や裁判所などの行政機関も多いので、今回行きませんでしたが隣の新栃木駅の方に歓楽街があるのかも知れません。

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この栃木駅と新栃木駅との関係も、掘り下げて行くと面白いかも知れませんね。