三浦半島、横須賀の先の浦賀、観音崎に残る砲台跡などの戦争遺構を巡ってまいりました。

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観音崎は夏のレジャー真っ盛り。海に入る人やBBQを楽しむ人などで賑わっています。

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観音崎灯台は日本最古の様式灯台として1869年より点灯しています。だだし関東大震災などによって崩れているため、現在の灯台は大正14年に再建された3代目となります。この灯台の場所に文化9年(1812年)、最初の台場が造られたとか。

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その観音埼灯台をとり囲むようにして、いくつかの砲台の跡が残っています。東京湾の入り口でもある観音崎の砲台は元々、文化7年(1810年)より会津藩が台場と陣屋を築き、文政4年(1821年)に浦賀奉行所管理のもと、その後慶応4年から江川太郎左衛門が引継ぎ、明治以後は海軍省、そして陸軍省へと引継がれ、昭和20年の終戦まで管理されました。

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現在残る砲台跡の多くは明治〜大正期のもの。この北門第一砲台は明治13年(1880年)に着工されたもので、以降9ヶ所もの砲台が建設されました。砲座全面には巨大な御影石が。

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手前の塞がれた入り口は弾薬庫でしょうか。ちなみに観音崎の砲台は兵器の進歩や国際情勢の変化などにより、その多くが大正時代に廃止となりました。ここ第一砲台は大正4年除籍。

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こちらは観音崎バス停から少し登った所にある北門第二砲台。第一砲台と同じく明治13年着工で同17年竣工、大正4年除籍。

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もちろん大砲があるわけではなく、土台があるのみ。

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こちらも第二砲台。日清戦争や日露戦争の時には戦闘配備につきましたが、実際東京湾の入り口まで敵艦隊が攻め入って来る事は無かったので、実戦で発砲したことは無かったそうです。

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施設としては基本的に地下施設。指令所や弾薬庫などが、防空壕のような形で眠っています。年に数回ガイドツアーが開催され、その際には幾つかの鉄の扉が開かれるとか。

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海沿いまで降りてみると、遠く岬の突端にコンクリート造の廃墟が。これは潜水艦を砲撃するために潜水艦の音を探知して居場所を探る観測所で、こちらは第二次大戦中陸軍によって昭和12年に完成したものです。ただ岬の先端部分は現在防衛省の敷地(海上自衛隊観音崎警備所)で近付けず、よりによってこの日はデジカメを忘れて来るという失態。

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岬の南西側に廻ってみようと素掘りのトンネルを越えて行きます。このトンネル、鳶ノ巣台場(現在の観音崎警備所)建造のため嘉永5年(1852年)頃に掘られた横須賀最古のトンネルだとか。

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反対側に廻ってもやはり遠い。ipadでは無理があります。光学望遠レンズが欲しい。

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途中の海岸線には謎のコンクリート構造物が転がっていました。これも戦争関連の遺物でしょうか。

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再び山へと登って行きます。崎先端部の近くには、外洋を臨むようにして戦没船員の碑があります。海の日の観音崎はレジャー客で賑わい波は静かで平和な休日です。

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観音崎の山間部は全体が公園になっており、遊歩道が迷路のように張り巡らされています。戦没船員の碑の北側より海側展望台へと抜けるトンネルが。

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トンネルを抜けると左手に地下施設への入り口が。コンクリートで固く閉ざされています。

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展望台手前にあるのが北門第三砲台跡。

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こちらも竣工と除籍の時期は第一や第二と同じです。

後編に続く。