あけましておめでとうございます。
正月はどこ行っても正月料金で高くつく。という事ですっかり寝正月でしたが、暇だったので押入れを漁ったりしてました。その時古いアルバムなどを開いてみたのですが、乗り鉄だった当時の写真が懐かし過ぎて、思わずセブンイレブンの複合機でスキャンし、デジタル化してしまいました。
昭和60年(1985年)の夏。当時高校2年生だった私はバイトしたお金で青春18きっぷを4冊買い、およそ18日間野宿とビジネスホテル泊と夜行鈍行泊を繰り返して各駅停車による日本一周の旅に出ました。
当時の記憶が非常に曖昧なのですが、一つの記録として写真をアップします。オリンパスOM-3にはモノクロを、OM-4にはカラーネガを入れて撮影しましたが、あまりに点数が多いため厳選します。
すいません、今回は鉄一色です。説明不足しまくりです。
日本一周は時計周りで。宿泊費や野宿の回数を減らすために極力夜行鈍行で距離を稼ぐ。大垣行きの夜行を名古屋で降りて紀勢本線へ。写真はすれ違った特急南紀。
紀伊勝浦-湯川間の湯川川橋梁にてEF15。当時から古い物が好きで、廃止の危機にある車両を主に追ってました。
ここは湯川潟の入り口でしたが川原に三脚を立てていたところ、満ち潮で海水が見る見る迫って来て焦った覚えがあります。
新宮より紀勢本線の夜行鈍行に乗車。EF58+12系+10系寝台。
翌日は和田岬線の旧型客車を訪ねました。木場みたいに材木が浮かべてある光景なども、今では見られないのかも知れません。
工業地帯への通勤客を乗せるためにシートを取り払った車内。今考えると衝撃的な列車でした。
記憶が曖昧ですが、岡山で宿泊して宇高連絡船で四国に渡り、徳島を回って土讃本線の夜行鈍行にて高知へ。この時代、日本各地に夜行鈍行(又は快速)が走ってました。当時は一日2000円の青春18きっぷさえあれば、どこにでも行けた。
数日飛ばして宮崎。日豊本線を走る寝台特急富士。しっかり撮り鉄もしてました。
恐らく大隅線のどこかの駅にて(志布志?)、キハ26 455。大隅線はこの二年後の1987年に廃止されます。枝線は省いてとにかく海沿いの国鉄路線で一周したわけですが、今思えば時代として赤字路線が次々と廃止されていく直前のタイミングでした。
最南端の指宿枕崎線西大山駅を訪れ、また日にちが飛びますが、日本最西端の駅、旧国鉄伊万里線の平戸口駅。だと思います多分。
門司から福知山(豊岡?)まで、当時日本最長区間を走る山陰本線の824レに乗りました。一日中乗り続けてまぁよく飽きなかったなと。デッキの扉を開けて床に座り、餘部鉄橋で下を覗いて怖えーなんて言ってました。
途中鳥取駅にて快速わかとりライナーを撮影。それよりも奥に写るキロ28が!
追い越してゆく特急まつかぜ。何駅で撮ったかは全く覚えておらず。
多分、宮津線か、もしかしたら舞鶴線のどこかの駅。場所を覚えてないのが悔やまれますが、ホームが無いという衝撃。多分短いホームからはみ出していたかなんかだと思いますが、ホームが無いて!
あまり写真を撮っていなかった北陸本線、越後線、羽越線、奥羽本線、五能線など諸々すっ飛ばして、いきなり弘南鉄道。16歳(当時)がまた渋い趣味をしている。ガラガラと家の玄関の引き戸のように手で開けるドアに驚きました。本当にガラガラガラという音がした。
とはいえ走っている時ぐらいドア閉めやがれ!と、少年はカルチャーショックを受けるのでした。
青函連絡船で函館に渡り、函館本線の夜行鈍行41レで札幌へ。奥に見えるのが夜行急行大雪。
当時はお座敷車両なんかも連結してました。
名寄本線弘道駅。枕木を並べただけの、北海道特有のプラットホームにも衝撃を受けました。
標津線のキハ22 116。何駅かは思い出せません。今ではその殆どの路線が廃止となり、一周なんて全く出来なくなってしまいましたが、当時は辛うじて可能でした。
函館本線〜留萌本線〜羽幌線(廃止)〜宗谷本線〜稚内〜天北線(廃止)〜宗谷本線〜名寄本線(廃止)〜湧網線(廃止)〜釧網本線〜標津線(廃止)〜根室本線〜東根室〜根室本線〜石勝線〜室蘭本線〜函館本線。
函館本線は大沼公園を走る急行ニセコ。マニ50が時代を感じさせる。
函館の市電。この514型は1992年、東雲線の廃止により廃車。
東北本線の場所はどこだか分かりませんが、寝台特急ゆうづる。ギチギチのスケジュールだった割には、結構いろんな所で降りて撮り鉄してましたね。
盛駅にて岩手開発鉄道のDD43。同年3月には廃車となっていたので、留置されて半年過ぎた姿だったようです。
以上、昔の鉄の話に長々とお付き合い頂き、ありがとうございます。
最後におまけ。
私のホームグランドだった根府川鉄橋にて。
カートレイン。
渋い!
20系だし!
正月はどこ行っても正月料金で高くつく。という事ですっかり寝正月でしたが、暇だったので押入れを漁ったりしてました。その時古いアルバムなどを開いてみたのですが、乗り鉄だった当時の写真が懐かし過ぎて、思わずセブンイレブンの複合機でスキャンし、デジタル化してしまいました。
昭和60年(1985年)の夏。当時高校2年生だった私はバイトしたお金で青春18きっぷを4冊買い、およそ18日間野宿とビジネスホテル泊と夜行鈍行泊を繰り返して各駅停車による日本一周の旅に出ました。
当時の記憶が非常に曖昧なのですが、一つの記録として写真をアップします。オリンパスOM-3にはモノクロを、OM-4にはカラーネガを入れて撮影しましたが、あまりに点数が多いため厳選します。
すいません、今回は鉄一色です。説明不足しまくりです。
日本一周は時計周りで。宿泊費や野宿の回数を減らすために極力夜行鈍行で距離を稼ぐ。大垣行きの夜行を名古屋で降りて紀勢本線へ。写真はすれ違った特急南紀。
紀伊勝浦-湯川間の湯川川橋梁にてEF15。当時から古い物が好きで、廃止の危機にある車両を主に追ってました。
ここは湯川潟の入り口でしたが川原に三脚を立てていたところ、満ち潮で海水が見る見る迫って来て焦った覚えがあります。
新宮より紀勢本線の夜行鈍行に乗車。EF58+12系+10系寝台。
翌日は和田岬線の旧型客車を訪ねました。木場みたいに材木が浮かべてある光景なども、今では見られないのかも知れません。
工業地帯への通勤客を乗せるためにシートを取り払った車内。今考えると衝撃的な列車でした。
記憶が曖昧ですが、岡山で宿泊して宇高連絡船で四国に渡り、徳島を回って土讃本線の夜行鈍行にて高知へ。この時代、日本各地に夜行鈍行(又は快速)が走ってました。当時は一日2000円の青春18きっぷさえあれば、どこにでも行けた。
数日飛ばして宮崎。日豊本線を走る寝台特急富士。しっかり撮り鉄もしてました。
恐らく大隅線のどこかの駅にて(志布志?)、キハ26 455。大隅線はこの二年後の1987年に廃止されます。枝線は省いてとにかく海沿いの国鉄路線で一周したわけですが、今思えば時代として赤字路線が次々と廃止されていく直前のタイミングでした。
最南端の指宿枕崎線西大山駅を訪れ、また日にちが飛びますが、日本最西端の駅、旧国鉄伊万里線の平戸口駅。だと思います多分。
門司から福知山(豊岡?)まで、当時日本最長区間を走る山陰本線の824レに乗りました。一日中乗り続けてまぁよく飽きなかったなと。デッキの扉を開けて床に座り、餘部鉄橋で下を覗いて怖えーなんて言ってました。
途中鳥取駅にて快速わかとりライナーを撮影。それよりも奥に写るキロ28が!
追い越してゆく特急まつかぜ。何駅で撮ったかは全く覚えておらず。
多分、宮津線か、もしかしたら舞鶴線のどこかの駅。場所を覚えてないのが悔やまれますが、ホームが無いという衝撃。多分短いホームからはみ出していたかなんかだと思いますが、ホームが無いて!
あまり写真を撮っていなかった北陸本線、越後線、羽越線、奥羽本線、五能線など諸々すっ飛ばして、いきなり弘南鉄道。16歳(当時)がまた渋い趣味をしている。ガラガラと家の玄関の引き戸のように手で開けるドアに驚きました。本当にガラガラガラという音がした。
とはいえ走っている時ぐらいドア閉めやがれ!と、少年はカルチャーショックを受けるのでした。
青函連絡船で函館に渡り、函館本線の夜行鈍行41レで札幌へ。奥に見えるのが夜行急行大雪。
当時はお座敷車両なんかも連結してました。
名寄本線弘道駅。枕木を並べただけの、北海道特有のプラットホームにも衝撃を受けました。
標津線のキハ22 116。何駅かは思い出せません。今ではその殆どの路線が廃止となり、一周なんて全く出来なくなってしまいましたが、当時は辛うじて可能でした。
函館本線〜留萌本線〜羽幌線(廃止)〜宗谷本線〜稚内〜天北線(廃止)〜宗谷本線〜名寄本線(廃止)〜湧網線(廃止)〜釧網本線〜標津線(廃止)〜根室本線〜東根室〜根室本線〜石勝線〜室蘭本線〜函館本線。
函館本線は大沼公園を走る急行ニセコ。マニ50が時代を感じさせる。
函館の市電。この514型は1992年、東雲線の廃止により廃車。
東北本線の場所はどこだか分かりませんが、寝台特急ゆうづる。ギチギチのスケジュールだった割には、結構いろんな所で降りて撮り鉄してましたね。
盛駅にて岩手開発鉄道のDD43。同年3月には廃車となっていたので、留置されて半年過ぎた姿だったようです。
以上、昔の鉄の話に長々とお付き合い頂き、ありがとうございます。
最後におまけ。
私のホームグランドだった根府川鉄橋にて。
カートレイン。
渋い!
20系だし!