今回はわたらせ渓谷鉄道終点の藤間駅から先の鉱山住宅跡を見て行きます。
本山方面へ少し登ったところ、旧貨物専用線の踏み切り跡の手前右手に数棟の社宅長屋が残っていました。
ここは一般住宅や商店の多い下藤間地区の一番奥になります。
共同トイレに便器が残っていましたが、絵柄が焼き付けられています。高級なのか、その当時流行っていたのか、初めて見ます。
藤間駅前の古河機械金属足尾事業所が近いからか、建物は倉庫として利用されてました。
欄干など凝った造りとなっています。
この建物は集会所か何かだったのでしょうか。
下藤間から上藤間を抜けた先、右手の沢伝いに深沢地区がありました。元々はこの道が日光へと抜ける道だったようですが、明治24年、馬車鉄道が開設されてからは廃道となったそうです。
明治35年の大火で深沢地区は全焼。そのためこのような防火壁が造られ、跡地に多くの社宅が建てられたそうです。
しかし現在では全ての長屋が解体され、石垣のみが当時の面影を残しています。
公園の跡。ここにはかつて八聖山金山神社がありました。
渡良瀬川に戻り、少し登って川を渡ったところが南橋地区です。渓谷と旧足尾専用線の間の狭い土地に社宅長屋の列があります。
各長屋の共同トイレは崖っぷちに建ち、下水はそのまま川へ。この地区にはまだ住まれている方が結構居るようです。
本山製錬所の向かい側、住宅地の奥に赤沢婆火社宅があります。
空き家ばかりでここもすっかり無人かと思いましたが、一番奥の棟に一人老人の姿が。
一人暮らしなのでしょうか、お話を伺う事は出来ませんでしたが、だとすれば閉山後一人去り二人去り、一つの村社会が消えてゆく時の流れを、一体どんな気持ちで見詰めて来たのか。
こちらは合宿と書かれた棟。どのような用途だったのかは不明ですが、社宅住民の共用棟として沢山の思い出が詰まった場所だったと思われます。
本山製錬所の大煙突を川向こうに眺めながら歩くと、やがて右手に開けた土地が。
防火壁で一般住宅と区切られたこの広大な空き地には、かつて愛宕下鉱山住宅がありました。
もはや一棟も残っていませんが、石垣や階段が当時の集落を偲ばせます。
現在このような長屋跡では植林活動が続けられています。人々がこの地を去り、または亡くなり、廃墟化する長屋は解体され、今、森に還ろうとしている訳です。繁栄と環境汚染の末、資源の枯渇による衰退を経て、人々の故郷と歴史が木々に覆われてゆく。それが果たして正解であるのか偽善であるのか償いであるのか。後々公害問題についても取り上げて行きますが、燃料のための森林伐採と亜硫酸ガスによる煙害で緑を失った山々では、1897年から現在に至るまで100年以上もの間植林活動や治山事業が続けられており、その資金に莫大な税金が使われています。
今回の足尾散策はこれまで。次回は草が枯れた頃の季節に、廃棄物の堆積場や小滝鉱跡、本山鉱山神社跡、簀子橋堆積場などを巡りたいと思います。まだ2〜3回は通わなければならないようです。
→栃木県日光市足尾(1)、足尾銅山観光
→栃木県日光市足尾(2)、旧足尾線貨物専用線跡
→栃木県日光市足尾(3)、足尾銅山本山製錬所跡
→栃木県日光市足尾(4)、鉱山住宅跡(その1)
→栃木県日光市足尾(6)、簀子橋堆積場
→栃木県日光市足尾(7)、秋の田元鉱山住宅跡〜変電所跡
本山方面へ少し登ったところ、旧貨物専用線の踏み切り跡の手前右手に数棟の社宅長屋が残っていました。
ここは一般住宅や商店の多い下藤間地区の一番奥になります。
共同トイレに便器が残っていましたが、絵柄が焼き付けられています。高級なのか、その当時流行っていたのか、初めて見ます。
藤間駅前の古河機械金属足尾事業所が近いからか、建物は倉庫として利用されてました。
欄干など凝った造りとなっています。
この建物は集会所か何かだったのでしょうか。
下藤間から上藤間を抜けた先、右手の沢伝いに深沢地区がありました。元々はこの道が日光へと抜ける道だったようですが、明治24年、馬車鉄道が開設されてからは廃道となったそうです。
明治35年の大火で深沢地区は全焼。そのためこのような防火壁が造られ、跡地に多くの社宅が建てられたそうです。
しかし現在では全ての長屋が解体され、石垣のみが当時の面影を残しています。
公園の跡。ここにはかつて八聖山金山神社がありました。
渡良瀬川に戻り、少し登って川を渡ったところが南橋地区です。渓谷と旧足尾専用線の間の狭い土地に社宅長屋の列があります。
各長屋の共同トイレは崖っぷちに建ち、下水はそのまま川へ。この地区にはまだ住まれている方が結構居るようです。
本山製錬所の向かい側、住宅地の奥に赤沢婆火社宅があります。
空き家ばかりでここもすっかり無人かと思いましたが、一番奥の棟に一人老人の姿が。
一人暮らしなのでしょうか、お話を伺う事は出来ませんでしたが、だとすれば閉山後一人去り二人去り、一つの村社会が消えてゆく時の流れを、一体どんな気持ちで見詰めて来たのか。
こちらは合宿と書かれた棟。どのような用途だったのかは不明ですが、社宅住民の共用棟として沢山の思い出が詰まった場所だったと思われます。
本山製錬所の大煙突を川向こうに眺めながら歩くと、やがて右手に開けた土地が。
防火壁で一般住宅と区切られたこの広大な空き地には、かつて愛宕下鉱山住宅がありました。
もはや一棟も残っていませんが、石垣や階段が当時の集落を偲ばせます。
現在このような長屋跡では植林活動が続けられています。人々がこの地を去り、または亡くなり、廃墟化する長屋は解体され、今、森に還ろうとしている訳です。繁栄と環境汚染の末、資源の枯渇による衰退を経て、人々の故郷と歴史が木々に覆われてゆく。それが果たして正解であるのか偽善であるのか償いであるのか。後々公害問題についても取り上げて行きますが、燃料のための森林伐採と亜硫酸ガスによる煙害で緑を失った山々では、1897年から現在に至るまで100年以上もの間植林活動や治山事業が続けられており、その資金に莫大な税金が使われています。
今回の足尾散策はこれまで。次回は草が枯れた頃の季節に、廃棄物の堆積場や小滝鉱跡、本山鉱山神社跡、簀子橋堆積場などを巡りたいと思います。まだ2〜3回は通わなければならないようです。
→栃木県日光市足尾(1)、足尾銅山観光
→栃木県日光市足尾(2)、旧足尾線貨物専用線跡
→栃木県日光市足尾(3)、足尾銅山本山製錬所跡
→栃木県日光市足尾(4)、鉱山住宅跡(その1)
→栃木県日光市足尾(6)、簀子橋堆積場
→栃木県日光市足尾(7)、秋の田元鉱山住宅跡〜変電所跡