砕石プラント跡から登山道を登って行くと、杉林の奥に白岩集落跡が見え始めて来ます。

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 ここは数多くの廃墟サイトでも紹介されている、比較的有名な物件です。登山道から生活道跡と思われる斜面を登って行くと、一軒目の廃屋。この辺りは下白岩と呼ばれていた地区で、上白岩地区は登山道を更に登った先にあります。

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 中は生活用具がそのままで荒れ果てています。

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 こちらは二軒目。廃屋は去年訪れた秩父の浦山地区を思い出すように斜面のあちこちに散在しており、各家庭が細い生活道で結ばれています。

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 集落の歴史は古く平家の落人という言い伝えもあるほど。昭和三十年頃には二十一軒もの家屋が存在していたそうですが、離村が続き平成6年には廃村化。

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 主に林業や炭焼きを生業としていたそうですが、比較的陽当たりが良いため浦山地区の山掴集落のようなジメジメした雰囲気はありません。

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 三軒目のお宅。杉林が深いため、一軒見つけると更に奥にまた一軒発見すると言った感じです。

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 一軒目のお宅を裏の斜面から。このようにかなり急な斜面に石積みをして土地を造成しているのが分かります。

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 斜面にぽつりとお墓があると思ったら、その更に奥に四軒目が。既に崩落して跡形も無くなってしまったお墓も多くあるのかも知れません。

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 四軒目のお宅。途中、家が建っていた面影を感じさせる更地もあり、かなりの軒数が建っていたと思われます。

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 生活用具が残されたままの廃屋を見ると、まるで突然住人が消えてしまったのかなどと感じてしまいます。

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 この白岩集落の特徴と言ってもいいかも知れませんが、集落の中心には消火栓が設置されています。炭焼き小屋も多かったでしょうから、山火事を恐れていたのでしょう。

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 もう廃屋は無いと思ったら次々と発見します。杉林の奥に見える廃屋。生活道は特に整備されていないような獣道に近い物で、崩落や風化も進んでいるため注意深く探さなければなりません。もっとも、ここまで来ると斜面をよじ登っても大して変わりませんが。

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 それにしても昭和60年、つまり廃村化してから30年以上は軽く経っていると言うのに、よくこれだけの家屋が現存し続けていると思います。

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 もちろん解体されて更地になっている敷地もありますが、解体したらしたで廃材を搬出するのもひと苦労です。車が全く入って来れない山奥だからこそ、逆に廃屋と生活用具が存在し続けているという部分もありますが、もし土地の所有権を持っていなければこれ以上の不法投棄はありませんね。

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 集落の奥に開けた斜面がありますが、おそらくは畑と思われます。埼玉県西部の山間部では、段々畑を造らず斜面をそのまま耕すという特徴があります。

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  登山道に戻り、鳥首峠方面へと再び歩いて行きます。途中消火栓があると思ったら、左手の谷を越えた反対側に一軒の廃屋が確認出来ました。しかし橋を渡った先の斜面が崩れており、行く事を断念。

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 更に登山道を登ったところにかかるこの橋は、崩れ掛けているため通行禁止。小さな沢を飛び越えて進みます。それにしても、考えて見ればこの山道が通学路なんですよね。

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 沢を遡った先に一軒の廃屋。写真奥の斜面を登ると、先ほど探索した集落の一番奥へと繋がっています。


 後編に続く。