JR内房線、上総湊という小さな駅に降りました。夏は海水浴客で賑わう駅ですが、夏休みシーズンも過ぎて駅前はひっそりとしています。
駅前には天羽日東バスのバスターミナルがあります。このバス乗り場が実に渋い。
町の鎮守、神明神社ではお祭りの準備が真っ盛り。
漁業で栄えた町らしく、通りには大漁旗がたくさん掲げられていました。お祭りの当日に来たかった。
古い建築物もたくさん残っています。町は特に寂れた雰囲気もなく、お祭りの準備のせいか活気に溢れています。
ここ天羽町が1971年に富津町、大佐和町と合併され、その時に建てられたら富津市役所旧庁舎跡。小さな漁村とばかり思ってましたが、ここはかつて富津市の中心だったようです。しかし1992年、お隣の大貫駅近くに新市庁舎が建って以来、ここは富津市天羽行政センターとして使われていました。しかしその行政センターも現在は移転。この立派なコンクリート建造物は廃墟と化しています。
町を流れる湊川を遡った辺りに岩谷観音堂という史跡があります。
しかし見てビックリ。なんという急でしかも荒れ放題な石段!
崖を登るようにして行くと、石段は途中から無くなり、斜面を迂回するように登って行きます。想像ですが、お堂の正面が即石段だったため、人が通れるスペースを確保するため盛り土したのではないだろうか。
しかしお堂まで登りきって右手に行ってみると……。
……!!
ちゃんとした道が有るじゃありませんか!
この斜面際の階段が正式な登り口のようです。写真は帰り際に撮ったもの。それにしても分かり辛っ!
幾つも空いている横穴に入ると、たくさんの磨崖仏が掘られています。
中にはテーブルと椅子が置かれている横穴も。ここで寛げって言われても……。
ここの磨崖仏は奈良時代、行基によって一夜にして彫られたとされています。しかし長い年月を経て磨崖仏は風化により摩耗し寺は荒れ放題だったようです。そこで平成23年、地元民達の間で100万円を投じお堂の改修や手摺りの整備などがされたそうです。
お堂の裏はコの字にトンネルが廻り込んでおり、その壁面にも多くの磨崖仏が彫られています。写真はお堂の右手奥の入り口。
こちらは左手奥の入り口。トンネル手前には第一窟があり壁面には阿弥陀如来座像を中心に観音菩薩、勢至菩薩が彫られており、その手前が堂で塞がれている形。年2回の御開帳の時だけ拝めるとか。
お堂左手にはトンネル状の階段があります。非常に複雑な構造。
途中階段が分岐し、別の横穴にも行けます。
階段奥の横穴。かなり風化が激しいです。
上から階段を見下ろすとこんな感じ。
横穴は全部で第13窟まであるそうで、つまり藪に覆われて入るのが困難な場所もあるということです。
この岩谷観音は幾つかのブログなどで紹介されているのみで、富津市のサイトでは一切紹介されていません。文化財指定の動きもあるようですが、基本的には史跡として扱われておらず、地元の方々によってのみ大切にされています。歴史も古く由緒もある貴重な歴史遺産なので、これからも大切に残していかれる事を望むばかりです。
駅前には天羽日東バスのバスターミナルがあります。このバス乗り場が実に渋い。
町の鎮守、神明神社ではお祭りの準備が真っ盛り。
漁業で栄えた町らしく、通りには大漁旗がたくさん掲げられていました。お祭りの当日に来たかった。
古い建築物もたくさん残っています。町は特に寂れた雰囲気もなく、お祭りの準備のせいか活気に溢れています。
ここ天羽町が1971年に富津町、大佐和町と合併され、その時に建てられたら富津市役所旧庁舎跡。小さな漁村とばかり思ってましたが、ここはかつて富津市の中心だったようです。しかし1992年、お隣の大貫駅近くに新市庁舎が建って以来、ここは富津市天羽行政センターとして使われていました。しかしその行政センターも現在は移転。この立派なコンクリート建造物は廃墟と化しています。
町を流れる湊川を遡った辺りに岩谷観音堂という史跡があります。
しかし見てビックリ。なんという急でしかも荒れ放題な石段!
崖を登るようにして行くと、石段は途中から無くなり、斜面を迂回するように登って行きます。想像ですが、お堂の正面が即石段だったため、人が通れるスペースを確保するため盛り土したのではないだろうか。
しかしお堂まで登りきって右手に行ってみると……。
……!!
ちゃんとした道が有るじゃありませんか!
この斜面際の階段が正式な登り口のようです。写真は帰り際に撮ったもの。それにしても分かり辛っ!
幾つも空いている横穴に入ると、たくさんの磨崖仏が掘られています。
中にはテーブルと椅子が置かれている横穴も。ここで寛げって言われても……。
ここの磨崖仏は奈良時代、行基によって一夜にして彫られたとされています。しかし長い年月を経て磨崖仏は風化により摩耗し寺は荒れ放題だったようです。そこで平成23年、地元民達の間で100万円を投じお堂の改修や手摺りの整備などがされたそうです。
お堂の裏はコの字にトンネルが廻り込んでおり、その壁面にも多くの磨崖仏が彫られています。写真はお堂の右手奥の入り口。
こちらは左手奥の入り口。トンネル手前には第一窟があり壁面には阿弥陀如来座像を中心に観音菩薩、勢至菩薩が彫られており、その手前が堂で塞がれている形。年2回の御開帳の時だけ拝めるとか。
お堂左手にはトンネル状の階段があります。非常に複雑な構造。
途中階段が分岐し、別の横穴にも行けます。
階段奥の横穴。かなり風化が激しいです。
上から階段を見下ろすとこんな感じ。
横穴は全部で第13窟まであるそうで、つまり藪に覆われて入るのが困難な場所もあるということです。
この岩谷観音は幾つかのブログなどで紹介されているのみで、富津市のサイトでは一切紹介されていません。文化財指定の動きもあるようですが、基本的には史跡として扱われておらず、地元の方々によってのみ大切にされています。歴史も古く由緒もある貴重な歴史遺産なので、これからも大切に残していかれる事を望むばかりです。
数年前に東京deepかなにかでこの岩谷観音堂を見て、いつか訪問したいと思っていました。
観光名所ではない、地域にしか知られていない洞窟には憧れがあります。
荒れ放題の階段や座りたくないテーブルがまたいい味を出していますね。