東上野は2011年に一度散策しています。当時の様子はこちら。しかし先月より仕事で再び訪れる機会を得たので、軽く散歩してみました。

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 首都高の向こう側、鶯谷寄りに東京メトロ銀座線の上野検車区が地上にあります。ここの地下には広い車両基地があり、隣接するビルには運転区の職員が仮眠する施設や、運行管理センターなどもあります。

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 地下から這い出てきた車両は地上の踏み切りを通り、4~5編成しか入線できない地上階の車両基地へと入って行きます。ここは昭和2年12月、銀座線の開業にあわせて建てられました。以前の記事にて書きましたが、ちょうど関東大震災の復興建築事業として現在の上野駅舎や下谷小学校、同潤会上野下アパートなどが建てられた時期と重なります。ちなみにこの踏切、日本で唯一の地下鉄の踏切となります。

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 その踏み切りの脇に、かなり渋い居酒屋が残っていました。こちらは戦後建築でしょうか、なかなか趣きのある看板建築です。関東大震災以前のこの辺りは下谷万年町と言い、江戸時代から明治大正に掛けて東京の三大貧民窟のひとつと言われていました。しかし震災で壊滅した後、現在ではその面影を伺い知ることは出来ません。

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 以前撮影した下谷小学校跡は今もそのままの姿を残していますが、同潤会上野下アパートは2013年に解体されてしまいました。現在跡地には地上14階建ての分譲マンション(三菱地所)が聳え建っています。

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 それでも付近にはいまだ昭和の建築物が幾つも残っています。こちらはマンション裏手にある銭湯の寿湯。

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 長屋造りや下町らしい狭い路地などもありますが、以前訪れた時と比べだいぶ歯抜け状態になっており、コインパーキングだらけとなっています。これは想像ですが、住んでいた高齢者が亡くなられて、相続税対策に土地を売った、なんてことも少なくないのかもしれません。

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 またこの界隈にはお寺も多くあります。昔から変わらぬ佇まいを保ち続けるのはお寺さんばかりとなってしまうのでしょうか。