大塚駅の南側は北側と違って落ち着いた街です。どちらかと言うと文京区の匂いがします。

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 現在駅前は駅ビルが建ちロータリーも再開発されており、小綺麗になりつつあります。

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 駅前は天祖神社の門前町であり、下町の商店街と言った雰囲気。

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 大型スーパーも特に無く、個人商店の八百屋に魚屋、肉屋さんなどが元気に商いをしています。

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 そんな下町情緒の残る街ですが、東側はかつて都内屈指の花街でした。かなり昭和なバッティングセンター『ひょうたん島』が残っている事も驚きですが、その左脇を入ってゆくと街の雰囲気が一変します。

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 山手線の南側を平行して流れる川の川沿いに、料亭などが軒を連ねています。川は現在、蛇行したまま暗渠になっており、三業通りと名付けられています。

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 三業地とは料亭、待合い、芸妓置屋が営業を許可されたエリアの事を言い、旦那衆なんかが芸者遊びをしていました。いわゆる花柳界とも呼ばれる地域で、向島、神楽坂、赤坂などと同じ料亭街です。

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 この大塚三業地は大正8年に誕生し、関東大震災の復興とともに繁栄してきました。昭和初期には豊島区最大の規模となり、都内屈指の三業地として賑わいを見せ、最盛期には700人の芸者が在籍していたそうです。

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 ちなみに現在でもマンションの中に見番が存在し、芸者が在籍しているそうです。

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 置屋だったのでしょうか、かなり大きな建物も残っていますが、その多くはスナックや商店、アパートなどになっています。

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 細かい部分で凝った造りが見受けられます。

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 しかしアパートとしての営業はかなり昔からのようです。詳細は不明。

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 高級料亭だけは結構生き残っているようです。

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 花柳界と言うとやはり高級料亭に芸者を呼んでという金持ちの遊び。現在では娼妓と芸妓が完全に分離し、お座敷遊びの芸妓のみとなっています。大衆の遊びである赤線などに比べたら、えらい上品な世界です。

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 近代的な建物に建て替えられた料亭も2〜3軒ありますが、そのほとんどが昭和初期の造りのまま。

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 これは一見鉄筋コンクリートのビルのように見えますが、ベランダを良く見てみると純和風の明かり取りの窓が施されています。

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 カーブに沿って折れ曲がっている看板建築のような造りをしたアパート。

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 三業通りを奥まで進むと左手に坂があり、突然ホテル街が姿を見せます。前身は連れ込み宿だったとかでしょうか。

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 住宅街の真っ只中に数軒のホテルがありますが、廃業したホテルも。もっとも、これだけ駅からも離れた、しかも分かり辛い場所でやって行ける方が謎ですが。そこまで忍ばなくても。

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 住宅街の中に80年代のアパートでしょうか、懐かしい造りの建物がありました。確かに昔こんな建物よく見たけど、最近めっきり見なくなったなぁと。

追記・2016年8月27日

 東京で行われる阿波踊りと言えば高円寺が有名ですが、ここ南大塚でも行われています。

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 高円寺に比べて歴史が浅く(昭和46年〜)規模も小さいですが、地元企業や商店会から県外の阿波踊り連盟まで1000人を越える踊り手が参加します。