高速パスで草津や万座に行く際、国道145号線の車窓に見える廃校跡がいつも気になっていました。

しかしJR吾妻線は3月のダイヤ改正で更に本数が減り不便になる一方。日中に特急の停車しない駅に途中下車したら次の電車まで2~3時間待ちのなど当たり前となり、沿線を巡る旅が難しくなっています。

JR吾妻線矢倉駅近くにあるこの岩島第一小学校跡は、いつも直行パスの窓から眺めては、降りたくとも降りれず悔しい気持ちを噛み締めていました。運転免許さえ持っていれば!

正面玄関です。鍵は完全に閉まっており、中には一切入れません。

裏に回り、地元の方の許可を得て畑の中を入らせてもらい、校庭側の様子を撮影。この岩島第一小学校は明治41年開校、平成11年閉校と、長い歴史がありました。戦時中などは疎開して来た生徒たちも通っていた事でしょう。

こちらは島頭神社にある樹齢1400年の神代杉。中の空洞には樹齢200年の杉がはえており、親子杉とよばれているそうです。

矢倉から隣の岩島まで電車の間隔が長いのでバス移動です。ちょうどこの辺りには原町から吾妻峡温泉天狗の湯までの循環バスが平日3本、休日2本だけ走っております。しかし来たのはバスという名のワゴン車。

県道沿いには古い民家がたくさんあります。

岩島駅から少し川原湯方面に歩いた山の斜面に、岩島第二小学校跡があります。

開校されたのは明治34年。閉校されたのは第一小学校と同じく平成11年でした。廃校となった年には別の場所に新校舎、岩島小学校が開校し、第一第二小学校が統合されました。それでも少子化、過疎化の影響で現在全校生徒91名という少なさだそうです。

裏手に回ってみました。

鍵はしっかり閉まっていますが、外れた窓ガラスから中の様子を窺う事が出来ました。廃校となってから早17年の月日が経っていますが、それほど荒れてはいません。

正面玄関です。とにかく見事な木造校舎で、このまま朽ちてゆくなんて勿体ないです。自治体のコミュニティーや観光客向けの施設など、何かしら再利用の方法などが見つかればいいのですが。

正面玄関の脇には校歌の碑が建っていますが見たところ新しく、廃校直前が廃校後に建てられたものでしょうか。

隣には幼稚園の跡もあります。時間が無くじっくり写真を撮れませんでしたが、円筒形の鳥小屋など懐かしい物が残っていました。

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しかしJR吾妻線は3月のダイヤ改正で更に本数が減り不便になる一方。日中に特急の停車しない駅に途中下車したら次の電車まで2~3時間待ちのなど当たり前となり、沿線を巡る旅が難しくなっています。

JR吾妻線矢倉駅近くにあるこの岩島第一小学校跡は、いつも直行パスの窓から眺めては、降りたくとも降りれず悔しい気持ちを噛み締めていました。運転免許さえ持っていれば!

正面玄関です。鍵は完全に閉まっており、中には一切入れません。

裏に回り、地元の方の許可を得て畑の中を入らせてもらい、校庭側の様子を撮影。この岩島第一小学校は明治41年開校、平成11年閉校と、長い歴史がありました。戦時中などは疎開して来た生徒たちも通っていた事でしょう。

こちらは島頭神社にある樹齢1400年の神代杉。中の空洞には樹齢200年の杉がはえており、親子杉とよばれているそうです。

矢倉から隣の岩島まで電車の間隔が長いのでバス移動です。ちょうどこの辺りには原町から吾妻峡温泉天狗の湯までの循環バスが平日3本、休日2本だけ走っております。しかし来たのはバスという名のワゴン車。

県道沿いには古い民家がたくさんあります。

岩島駅から少し川原湯方面に歩いた山の斜面に、岩島第二小学校跡があります。

開校されたのは明治34年。閉校されたのは第一小学校と同じく平成11年でした。廃校となった年には別の場所に新校舎、岩島小学校が開校し、第一第二小学校が統合されました。それでも少子化、過疎化の影響で現在全校生徒91名という少なさだそうです。

裏手に回ってみました。

鍵はしっかり閉まっていますが、外れた窓ガラスから中の様子を窺う事が出来ました。廃校となってから早17年の月日が経っていますが、それほど荒れてはいません。

正面玄関です。とにかく見事な木造校舎で、このまま朽ちてゆくなんて勿体ないです。自治体のコミュニティーや観光客向けの施設など、何かしら再利用の方法などが見つかればいいのですが。

正面玄関の脇には校歌の碑が建っていますが見たところ新しく、廃校直前が廃校後に建てられたものでしょうか。

隣には幼稚園の跡もあります。時間が無くじっくり写真を撮れませんでしたが、円筒形の鳥小屋など懐かしい物が残っていました。

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