息抜きって事でプロフィール的な物でも書きます。

 私は両親が旅行好きでして、子供の頃はブルートレインに乗ったりしながら汽車旅などによく連れて行って貰いました。山口百恵が国鉄のキャンペーンなんかをやっていた時代でしたが、その影響か鉄チャンだった時期もあり、中学生の頃は青春18きっぷを使って、鈍行列車だけで日本一周一人旅なんかもしてました。
 工業高校を卒業して小田急の就職試験を受けるも落ち、大学へ進む学力も無い。その結果半ばヤケクソで上京し写真の専門学校に通いながらカメラマンを目指す。夢を追う、なんてものは成功した者が過去を振り返った時に使うもので、現実は夢を追っているようで夢に酔っているに過ぎない。
 とはいえ理想は報道カメラマンでした。大卒でないと新聞社では採用されないという現実もあり、ただひたすら撮りたい写真を撮っていた。

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 今や世界遺産となった白川郷に専門学校生当時一週間滞在し、屋根の葺き替えを追いかけたりもしました。

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 無償で作業を手伝わせて貰い、合間を見ては屋根の上から撮影させて貰ったり。

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 現場の職人さんたちと仲良くなり、なるべく邪魔をしないように撮影しました。

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 打ち上げでは酒の席に入れてもらい、いかに地元の人たちとの距離を縮めるかによって、他人と違う写真を撮る事こそドキュメンタリー写真であると考えていました。今ではなかなか当時の情熱が蘇って来ないんですが。

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 高校卒業の時点で国鉄も分割民営化されたし鉄チャンも卒業かと、そのつもりでいましたが、本能的に鉄道にカメラを向けてしまう。上の写真は名鉄谷汲線。

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 専門学校卒業後は小さなフォトライブリーに就職。平日は大手出版社や広告代理店を営業し、週末はストック写真や依頼写真の撮影。雑誌などもやりましたが主に学参関係が多かった。しかし仕事は歩合制で営業が大の苦手だった私は収入も伸びず、月12万では大久保の風呂無しボロアパートでも苦しい生活でした。

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 結局のところフォトライブリーは4年で退社。写真の道は諦めました。
 結論。写真にしろ何にしろ趣味でやっとくのが一番。仕事になった時点で楽しくなくなる。その後暫くカメラからは一切離れていました。

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 また、ドキュメンタリー写真についても、突き詰めればカメラマンと被写体との関係、距離感が全てであるため、例えば身内や家族の撮った写真にはある意味かなわない。その分、いかにテーマを掘り下げるかに掛かってきます。調べ尽くし、生の声を取材し、その上であるテーマを表現するためには何をどのように撮るか、と言う事だと思います。

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※上の写真は1987〜88年頃撮影した物なのですが、記憶を頼りに調べて見たら背景の日本家屋がまだ現存することが分かりました。いつか再訪してみたいです。
https://www.google.co.jp/search?q=8Q7RRXM7%2BCX&rlz=1C9BKJA_enJP740JP745&oq=8Q7RRXM7%2BCX&aqs=chrome..69i57.2306j0j7&hl=ja&sourceid=chrome-mobile&ie=UTF-8

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 ちなみに文章と写真の関連性は全く無いです。ただ学生時代に撮っていた写真をアップしたかっただけという。(笑)

 ともあれ現在は内装工事関係の仕事の傍ら、5~6年前から再び写真熱が復活し、消えゆく昭和の風景などの記録写真を撮り始めております。
 そんな訳で明日より不定期更新となります。

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