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 少し歩けば防波堤の役割をしている西湘バイパスを隔てて相模湾。やはり小田原は海辺の街です。‌‌

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 早川築港。小田原の水産加工産業を支える大きな漁港です。‌‌

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 築港の白灯台が小田原提灯になってた。ちょっとかわいい。‌‌

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 早川を隔てて西側は早川町となりますが、こちらは一気に漁村といった雰囲気となります。‌‌

 東海道線の線路を潜り、箱根の入り口とも言える板橋地区まで来たところで、何度かテレビなどでも紹介されている板橋の駄菓子屋を見つけました。‌‌

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 てっきり昔ながらの駄菓子屋が今も残っているのかと思いきや、土日祝日のみ営業という貼り紙からも分かる通り観光客向けに作られた物です。建物は『ジュエリーシマノ』だったビル。‌‌
 このジュエリーシマノ、かつては小田原屈指の宝石商でした。潰れていた事にも驚きましたが、まさか『懐かし屋』などと言う名前で話題になっていようとは。‌‌
 挨拶出来ない者の入店を禁ずるとか、偉そうな事ほざく割にはただの観光客目当ての商売じゃないか。そもそも昔ながらの駄菓子だけだったら、ナンジャタウンでも買える。まぁ地元に観光客を立ち寄らせようと言うのは、別にいいですがね。‌‌

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 箱根登山鉄道箱根板橋駅舎。こっちは本当に古い。‌‌駅名に箱根と付きますが小田原市です。

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 板橋の駅の裏手にある市営福井島住宅。1958〜1959年建造という、都内じゃ絶滅してるような古い団地。‌‌

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 裏手は勝手にバラックを建てて増築している。‌‌

 板橋と風祭の間、国道1号線から見て早川の対岸。川と西湘バイパスとの間に韓国人会館と何かの工場、そこに広がるバラック群があります。‌‌

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 川向こうの住宅街からは西湘バイパスがコンクリートフェンスとなって見えず、国道1号線からも道路と川の間を跨いできた線路が視界を塞ぎ、電車からも川沿いの住宅の影で見えず。板橋の交差点から箱根ターンパイクへ向かう橋からも早川を渡る西湘バイパスの影になって見えない。これほどにまで巧妙に人目を避けられる場所は、そう無いです。‌‌
 
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 確かに電車やバスからは早川の向こうに韓国人会館の大きな看板を見つける事ができるのですが、その場所へ辿り着くのが至難の業なのです。‌‌

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 川崎市戸手四丁目無番地‌‌もGoogleマップでなければ発見できない代物でした。また、‌‌川崎市池上町‌‌も首都高と公園と貨物線という三重のガードと、その向こうには工場しかないという先入観によって隠されていました。‌‌
 戦後のドサクサに土地を不法占拠して住み着いた訳ですが、この隠れ里っぷりは、余程の差別や迫害の歴史を重ねて来たのだと想像できます。‌‌
 しかし上の写真をよく見ると、バラックの床下部分が恐らくは増水した川の濁流でごっそり削ぎ落とされたのであろう跡が見えます。地盤が見事に崩れている。‌‌

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 今回その部落の入り口まで行きました。しかし中は未舗装の細い道が一本あるのみで、たまたま通りすがったなどという言い訳も通るはずもない。さらには、その部落から出て来た男がずっと私の方を見ている。‌‌

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 悔しいけど内部の撮影は断念しました。いや、話せば撮らせてくれるかも知れませんが、あまりにリスキーだ。ww‌‌
 在日の方々にはコリアタウンを形成して地域に溶け込もうとする人々以外に、日本人との接触を拒むかのように隠れ住む人々がいます。現代でもまだ日本中のあらゆる所に、人知れずひっそりと暮らす人々がいる。‌‌
 ちなみに私自身差別意識は全く持っておりません。飲み屋でたまたま出会った在日の人と仲良く話したりもしますし、もっと理解を深めたいとも思っています。‌‌

2019年10月末再訪

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