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豊島区大塚(1)、北大塚の歓楽街

 大都市池袋の隣ということで、そこそこ栄えていながらも開発が遅れ、未だ昭和の匂いを濃く残している大塚周辺。しかし歴史は古く宿場町としても栄えていました。

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 JR山手線大塚駅は都電荒川線と交差しており、山手線開業当時は池袋よりも全然栄えていたそうです。

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 駅前には絶滅寸前となってしまった行商のお婆ちゃんが毎朝野菜などを売ってます。

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 不定期営業で朝の限られた時間のみ風呂敷を広げていますが、地元の方々で大盛況です。

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 大塚の凄いところは、首都圏に於いてとうに絶滅してしまったと思っていたピンサロが、何軒も生き残っているということ。

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 目立った風俗店街までは行きませんが、いい感じにやさぐれています。

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 大塚のピンサロはかつての川口や赤羽と同じ摘発対象となるようなサービスをしていないから生き残っているのか、そこまで潜入してないので分かりませんが、客引きは健在です。

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 北口のメインストリートとも言える銀の鈴商店街。主に飲食店が多く、その中に風俗店が点在するという、いわゆる歓楽街です。

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 もともとキャバレーでも入っていたのかと思えるような昭和感溢れる造りのビル。二階にはキャバクラが入り、一階は居酒屋。この居酒屋がまた安い。奥には角海老ボクシングジムがあり、建物の前が喫煙所となっています。なのでスパークリングを眺める人で人だかりが出来ることも。

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 北口駅前の歓楽街から都電の線路を挟んで向こう側にも、微妙な飲み屋街があります。

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 駅からも見えない奥の方にあるのでなかなか見つかり辛い一角なのですが、建物がことごとく古い。

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 年季の入った木造建築。この一帯の歓楽街は五反田っぽいマニアックさがありますが、ホテル街は次回紹介する北口三業通りの奥の、かなり離れた場所にあります。そのためデリバリー系風俗業者は定着せず、結果ピンサロの街なのかも知れません。

文京区小石川、下町の昭和建築物群

 本郷から坂を下りて、今度は都営三田線春日駅付近を散歩します。

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 高台の下、いわゆる庶民の住む下町は関東大震災と東京大空襲、二度に渡って焼け野原となりました。狭い路地を入れば戦後建築と思われる木造建築がそこ此処に残っています。

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 路地を迷いながら歩いていると、いきなり井戸なんか見つけて嬉しくなります。防火用水と書かれていたので、生活用水としては既に使われていないのでしょう。

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 前回の本郷の記事より樋口一葉繋がりの流れで、終焉の地の石碑を見つけたりしました。現在は巨大なマンションとなっています。

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 小石川の流れていた谷底は現在の千川通り。協定上高い建物が建てられない高台と違って、中高層マンションが多く建てられています。そんな中、商店街を形成していた長屋のような一角も残っています。

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 本郷の木造建築とは明らかに違って、バラックに近い木造建築。まさに山手と下町と言った感じ。

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 千川通りは別名共同印刷通りとも呼ばれていますが、この共同印刷の建物もかなり古く、写真の一号館は昭和10年造。

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 こちらの九号館は昭和8年造。この建物の外壁に等間隔で設置された共同印刷の蛍光灯看板がカッコいいのです。またこの近辺には共同印刷の下請けの印刷工場が多くあります。多いと言っても近年ではネットの普及に伴い印刷業界そのものが衰退しているため、潰れてしまった工場も多いようです。

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 共同印刷から東へ少し入れば広大な小石川植物園となります。その脇で、何やら団地のような建物が解体されようとしています。ここは恐らく小石川植物園の敷地に入り込んでいるので、植物園を管轄する関係の宿舎か何かでしょうか。

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 印刷工場で働く労働者などが集まっているのか、やはり高台の上の本郷とは明らかに街の雰囲気が庶民的なそれへと変わっています。

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 春日駅近くは商店街として賑わっております。すっかりビルだらけとなってしまった商店街ですが、昔の看板建築のままな店も数軒残っています。

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 さらに下って行けば丸の内線後楽園駅。起伏の多い地域なので、地下鉄が地上に出てしまう区間も多くあります。

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 後楽園駅北口にある礫川公園。その公園内の植え込みを入って行くと、旧日本帝国陸軍東京砲兵工廠の試射試験場という地下施設跡がひっそりと佇んでいます。

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 こちらの物件、以前帝都を歩くさんで紹介されていた記事を読み、去年の夏頃通りすがりにスマホで写真を撮っていました。こういう、誰にも知られていないディープな物件、大好きです。

文京区本郷、高台の木造建築物群

 文京区本郷は高台にあるため関東大震災や東京大空襲による火災の火の手が及ばず、多くの木造建築物が残っています。今回は地下鉄南北線東大前から西片、本郷と散歩して行きました。

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 東大前駅から地上に出てみると、さっそくモザイクタイル貼りの円柱が出迎えてくれました。

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 一歩路地を入れば高台ゆえの高級住宅街。木造建築物とは言えかなり凝った意匠で造られています。

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 庭付き、蔵付きの日本家屋は震災や戦乱を生き延びてきた旧家と言ったところでしょうか。

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 同時にこのあたりは東大も近いため、下宿屋も多く存在しました。

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 かなり古い長屋造りが、二棟並んで残っていました。

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 こちらは商家のようですが、何の商いをしていたのかは不明。

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 明治から下宿屋として存在し、昭和から旅館業に切り替えたという、鳳明館、森川別館。安く泊まれるという事で外国人観光客に人気だとか。この鳳鳴館の向かいに、かつて明治建築の下宿屋本郷館が建っていましたが、つい最近新しく建て替えられてしまいました。実に残念。

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 鳳明館の斜向かいには大正4年造の求道館が建っています。こちらは関東大震災の際に内部が崩落し、再建する費用もままならないためおよそ50年もの間廃墟だったところ、平成に入り都の有形文化財に指定されたため公的資金によって再建されたそうです。またこの求道館という宗教法人は、明治末期浄土真宗の僧侶が立ち上げた宗教で、教会のような建物の中には阿弥陀様が祀られているとか。実に興味深いです。

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 こちらは春日駅近くに建つ鳳明館本館。

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 隣には鳳明館合町別館も建っており、共に有形文化財に指定されています。このような住宅街の中にひっそりと建っている老舗旅館て、泊まる人がいるのかずっと疑問に思っていました。しかしどうやら大学関係者の団体などが利用しているようで、つまり紹介やコネクションがあるため生き残っているのではないかと見られます。

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 本館の斜向かいには鳳明館寮という木造建築物が建っています。詳細は不明ですが、鳳明館に住み込みで働く人が住んでいるのか、本来の下宿屋業として残っている建物なのか。

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 こちらは樋口一葉ゆかりの地として保存されている有形文化財、伊勢屋質店跡です。樋口一葉が生活苦だった頃、よく駆け込んでいた質屋さんだとか。たまたま内部が公開されていたので見学させていただきましたが、明治建築がそのままほぼ手付かずの状態で保存されており、非常に見応えがありました。撮影禁止だったのが残念ですが、何が凄いって天井に張り巡らされたガイシと電線。これは今時ここでしか見れないんじゃないでしょうか。一見の価値ありです。

群馬県藤岡市、譲原小学校跡と八塩温泉

 利根川水系の西側を流れる神流川(かんながわ)は埼玉県と群馬県の県境になりますが、流域に沿う主要幹線道路や街道筋、中心街が主に群馬県側を走っているため、今回は群馬県藤岡市というカテゴリーで紹介させていただきます。

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 山々に囲まれた鬼石の町は庭石として人気の高い三場石の産地として栄えています。その奥、下久保ダムの手前に廃校、譲原小学校跡が残っています。

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 神流川流域には譲原小学校の他にも幾つかの廃校跡が残っていますが、あいにく一時間に一本有るか無いかの路線バス移動なため、回ることは出来ませんでした。唯一ここだけはバス停降りてすぐの場所に建っています。

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 校舎裏に廻ってみました。この見事な木造校舎は1934年築、1975年の廃校まで使われていました。

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 割れたガラス窓は無かったため傾いて出来た扉の隙間にiPadを差し込んで内部を撮影。iPad薄くて良かった!廃校から41年もの年月が経とうとしているにも関わらず、綺麗に管理されています。

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 脇にはプールの跡が。校庭を固めるローラー(コンダラという)も41年間このままここにあったのでしょうか。

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 鬼石の少し下流に八塩温泉があります。宿泊施設が3軒ほどの、温泉街も形成していない小さな温泉地です。この神水館は日帰りの場合、予約制の食事付きプランとなるので、当日の入浴のみは受け付けていませんでした。かなり高級感溢れる宿です。

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 しかし裏に回ると……見てはいけません。
 他に八塩館という大型ホテルもありしたが、そこも日帰り入浴不可。それもそのはず、ここ八塩温泉は源泉温度の低い冷鉱泉なのでボイラー炊いて加温しなければならないのです。常に加温し続けていては、燃料費がバカになりません。

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 そんな中、一軒だけ日帰り入浴を受け入れている宿がありました。鬼石観光ホテル。見た目がすごい!朽ちかけている!

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 建物の外観はかなり老朽化が進んでいますが、部屋の内装は綺麗にリフォームしているようです。さらに掃除も行き届いており、清潔感が保たれています。浴槽も毎日しっかり洗われているようで、管理が徹底しています。そして何より24時間入浴可能なのが有り難い。6.2度の冷鉱泉なのに!

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 泉質はナトリウム―塩化物・炭酸水素塩冷鉱泉。古い地層に含まれている海水が素となっているので、塩分濃度が高いです。それを加水加温、循環濾過。ダバダバと流れているのは循環湯で、お湯はオーバーフローせずに湯口辺りにあると思われる取水口に流れています。表面に浮いた温泉成分のアブラが流れずに漂っており、鮮度はイマイチ。それでも泉質は良さそうで、汗が止まらないくらいホカホカになりました。悪くないです。

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 しかし、神流川を渡った埼玉県側。2001年に一軒の日帰り入浴施設がオープンしました。この白寿の湯。歴史の古い八塩温泉に対して温泉が出ていなかった埼玉県児玉郡神川町で、地下約700mまでボーリングを掘って見事掘り当てたのです。
 このお湯(冷鉱泉)がまた素晴らしく、伊香保赤城温泉に匹敵する真っ茶っ茶で濃いいナトリウム・塩化物強塩泉で、溢れ出るお湯により広い洗い場の床が赤城温泉御宿総本家のような鍾乳洞状態になっているのです。広い内風呂、露天、ともに常時冷鉱泉が掛け流され、加熱しながらの循環濾過で41~2度に保たれています。多少井戸水で加水されていてもそれは源泉が濃すぎるためなので全く気にならず、こんな所にこんな素晴らしいお湯が有ったのかと驚ろかされます。しかも入浴料750円と安く、駐車場は平日の午前中にも関わらず七割が埋まる盛況ぶりでした。人が多かったので内部は撮れなかった。
 神流川の南岸は高崎線の本庄から埼玉県神川町までの県道を東武グループ朝日交通の路線バスが走り、北岸は新町より国道を日本中央バスの路線バスが鬼石、さらには下久保ダムの奥、上野村まで走っています。つまりこの辺りは町が神流川ではっきり分断されているような形となっており、そう考えると鬼石側に昔からある八塩温泉は、完全に客を奪われた形となってしまいました。
 源泉は違えども八塩のお湯は決して悪く無いんです。しかし現代のニーズに合った日帰り入浴というスタイルとズバ抜けた泉質により、明暗を分けた形となってしまいました。
 ちなみに、八塩温泉のバス停には大きな藤岡市の観光マップが掲げられており、白寿の湯は橋を渡って歩いて10分ほどにも関わらず一切記載されていません。

群馬県太田市(2)、藪塚温泉と石切り場跡

 太田市の北端、桐生市の手前に藪塚という場所があります。

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 関東平野北東部はJR両毛線を境に北側が赤城山などの険しい山岳地帯が続き、南側には低い山々と田園地帯が広がっています。そんな長閑な農村地帯の中に藪塚温泉があります。

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 藪塚温泉は温泉宿が五軒ほど集まる小さな温泉街ですが、その中でもひときわ巨大で目を引くのがこのホテルふせじまです。なんでも太田市や桐生市の企業などが宴会を開く際は大抵ここの宴会場を使うとか。

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 内風呂は広く洗い場も14ヶ所もありサウナまで完備。お湯は源泉温度が16度と低い冷鉱泉のため常に加温し、湧出量に対する浴槽の広さもあるので加水、循環濾過。元々無臭な弱アルカリ性単純泉なので仄かな塩素消毒臭。

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 ただ、内風呂と併設された露天は最上階のテラスにあり眺望は最高です。日帰り入浴は貸しタオル付きで1200円。ちょっと高い気もしますが、これだけのお湯を沸かす燃料費や巨大設備の管理を考えたら仕方無いのでしょう。さらに最近では幹線道路沿いに日帰り入浴施設などが多く開業しているので、経営はかなり厳しいのかも知れません。

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 ホテル正面にはスネークセンターと三日月村があります。この辺りは豪族の新田氏が治めていた新田という土地ですが、ここでふと、上州新田郡(にったごうり)というキーワードを思い出しました。そういえば木枯らし紋次郎の出身地が上州新田郡三日月村だったような。つまりこの辺りは木枯らし紋次郎の故郷で、ここはそれに因んだテーマパークのようです。市川昆監督の木枯らし紋次郎は昔レンタルビデオで借りて見てました。好きだったなぁ。

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 ホテルふせじまの裏手には温泉神社もあります。温泉街としては古くから栄えていたのでしょう。猫が一匹参道を昇って行きました。

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 温泉街の一番奥には湯元藪塚館さんがあります。源泉温度が低いので日帰り入浴するには予約の電話を入れて沸かしておいてもらう必要があります。本来ここのお風呂が目的だったのですが、問い合わせの電話を何度掛けても誰も出ず、入る事は出来ませんでした。

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 泉質は良いとの噂で、湯屋の古さもまたそそります。営業はしているようなのですが、月曜の昼間に突然訪れたのがいけなかったのかも知れません。

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 温泉街から丘をひとつ越えた辺りから山あいに入った所に、藪塚石切り場跡があります。

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 トカゲのカサカサという物音にビビりながら数分ほど山道を歩いてゆくと、切り通しの先に姿を現す石切り場。

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 地面にはベニヤが敷かれているものの昨夜の雨のせいでぬかるみ一番奥は池のような水たまり。一歩進むごとにゲコと鳴きながらデカいカエルが水たまりに飛び込んで行きます。

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 それでもこの迫力は見応えがあります。しかし圧迫感と同時に神秘的と言うよりも不気味さといった方が当てはまるような雰囲気。

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 お隣栃木で以前訪れた大谷石採石場跡は最近テレビなどで紹介され知名度が上がりましたが、こちらは未だマイナー観光地であります。もっとも大谷石は巨大な地下空間まで入れますが、ここはこの場所のみ。

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 この薮塚石の石切り場は明治の中頃から採掘が始まり明治三十六年より薮塚石材株式会社が設立され本格化。柔らかいため加工がし易かったため主にかまどなどに使用されたそうです。しかし水に弱く中に小石もあり割れ目も多かったため徐々に嫌われ衰退してゆき、昭和三十年頃には閉山となったそうです。

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 藪塚駅から藪塚温泉、石切り場と、充分歩ける距離なので、気軽に立ち寄れます。また機会があれば、三日月村も訪れてみたいと思います。
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