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北区王子、さくら新道~飛鳥山

※この写真と文は2010年当時のものであり、さくら新道は2012年の火災により現在その7割が消失し更地となっております。

 京浜東北線と明治通りが交差する王子駅。南西に飛鳥山とさくら新道(しんみち)。南東に王子製紙と音無川。北東が区役所のある通りでチェーン店居酒屋などで賑わい、北西には王子稲荷の山。区役所があるせいか、あまりパッとしない街なんですが、飛鳥山を越えて滝野川まで行くと、それなりに下町チック。
 ただその前に、駅前のこの『さくら新道』を忘れちゃいけない。ここはさすがに怪しすぎて、いまだ突入した事はありません。雰囲気がね。片側山だから暗いし。超バラックだし。w

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 屋根は意外にも立派な瓦屋根。でも、裏の線路側はトタン板。

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 長屋が三棟といった感じで、結構短いです。裏手は線路で王子駅のプラットホームから、バラック状の建物が目の前に見えます。

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 元々は石神井川沿いにあった屋台村を、屋台禁止令に基づいて強制的に引越させたものが発祥だそうです。

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 で、何が怖いって、一番手前にあるコレ。祠だか何だか分からないけども完全に封鎖されてるし。対面には顔の無いお地蔵さん立ってるし。ミステリアスにも程がある。
 後で調べてみたところ、これは聖徳院という寺院だと言う……。
 ……いやいやいやいや!
 ないないないないない!!

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 気分を変えて王子稲荷。初詣の賑わい。

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 王子稲荷の下に微妙に飲食店街がありまして、短大なんかもあるため多少栄えてます。そこに美味い焼き鳥屋『串の介』がありまして、ここの店主が面白い人でした。ウーロンハイなど頼むと基本濃い目。途中一人の爺さんがふらふらと店に入って来たら、店内の常連たちが一斉に拍手でお出迎え。何事かと思ったら『この店で一番困った客が来た』との事。いつもは客に紛れて酒を飲みながら野球中継を観戦。常連客と一緒にジャイアンツを応援したり野次を飛ばしたり。

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 春は飛鳥山や音無橋の桜が見事。

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 秋になれば紅葉も見事。

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 大晦日は王子装束稲荷神社にて狐の行列。

 2014年5月14日、以前より気になっていた地元密着型スーパー『ほりぶん』を訪れてみました。

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 するとなんと、4月未で閉店してしまったそうです。もう少し早く来ていれば。なんとも悔やまれます。


●朝鮮部落退去命令に関する逸話。

 戦後、焼け野原となった日本の国土の中で行き場を失った朝鮮人たちの中で、人目を忍ぶように河川敷などに住み始めた人々が居ます。これが朝鮮部落のはじまりです。かつて土地を不法占拠していた朝鮮部落は首都圏を中心にたくさん存在していましたが、しかし団地への転居や国の指定していた居留地への移住などによって消滅して行き、現在その姿をとどめている地帯は僅かしか残ってありません。
 高齢者の話でその昔、北区王子の石神井川支流沿い、現在の音無橋公園の辺りにも朝鮮部落があったと聞きます。

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 そこは長い間、退去命令を無視して不法占拠を続けていたそうです。そこで行政の取った策と言うのが、飛鳥山公園の下を流れる本流から少しづつ支流へと水を流し、徐々に部落を浸水させて行ったと言うもの。えげつない話ですが、逸話のひとつです。

●2014年8月21日再訪

 名無川逍遥さんがコメントで貴重な画像を紹介して下さいました。それを受けて、かつて朝鮮部落があったであろう場所を訪れてみました。

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 石神井川は堤防で流れを左手に逸らされ、そのままトンネルを通って王子駅東口へと抜けます。

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 今では公園とマンションの敷地として整備され、当時の面影は全く伺い知る事が出来ません。ただ、堤防の高さが水害の歴史を物語っております。

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神奈川県三崎市、三崎港

 マグロで有名な漁港。メディアでもよく紹介される三浦半島突端にある観光地です。

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 そもそもこの三崎港に行ったきっかけと言うのが、ゲームの『どこでもいっしょ』シリーズに出てくる舞台となった街って事でして。

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 しかしながら古い漁村ならではの狭い路地と古い建物。

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 銭湯もいい味出してます。

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 商店街の雑貨屋さんも蔵造り建築。

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 グルメ本やテレビなどでも、すっかり有名になっている『くろば亭』。

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 くろば亭の店内。血合いのステーキなど、マグロのありとあらゆる部位の創作料理が楽しめます。三崎港の料理屋組合で定期的に新メニューの発表会があり、日々新しい料理の研究がなされております。

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 高波が来ても無事なように、住宅街は山の斜面にあります。漁村の特徴的な区画ですね。ただしキツイ坂が多い。

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 忘れ去られた高台の公園。景色は抜群なのですが、子供の姿は見当たらず、雑草も伸びるに任せておりました。ゲームなんてやってないで公園で遊びなさい。

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 一度は泊まってみたい老舗旅館『三崎館』です。マグロの兜焼きなんかで有名ですが、いかんせん宿泊料金が高く、なかなか泊まれません。

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 建造物としてはぜひ一度、内部も撮りたい物件です。

撮影・2004年2月


佐賀県呼子、遊廓跡とイカの街

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 秀吉が朝鮮出兵の際に出て行った港という訳ですが、九州は関東と比べて歴史の古い土地が多い。明治から大正にかけては捕鯨の一大拠点でもあったそうな。

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 しかし現在は静かでひっそりとした、そしてイカだらけの小さな漁村です。

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 奥まで入り込んだ湾を挟み、手前は漁港や壱岐・対馬へ向かうフェリー埠頭。そして向こう岸には旅館。この旅館なのですが、かつては花街として栄えていたそうです。

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 福岡の若旦那たちがわざわざこんな僻地まで来て、湾を手漕ぎ船で渡り、向こう岸の遊郭で遊ぶ。向こう岸では女郎たちが手招きをしている。そんな情緒があったそうです。湾が現世と桃源郷との境界みたいな感じでしょうか。
 旅館は今でも遊郭建築の名残りがあります。海に面した玄関は遊歩道で遮られてしまいましたが、当時の面影を忍ばせます。もう一度、ちゃんと写真を撮りに行きたい。なんたってイカがベラボウに美味い。

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 漁港側のメインストリート。朝市なども行われております。

撮影・2006年10月

新宿区歌舞伎町(1)、新宿ゴールデン街

 かつての文豪たちもフラついていた飲食店街。タモリが全裸で走り回っていた頃、赤塚不二夫に拾われた街。そして、かつてウチの連れが頭から血を流して血溜まりを作った路地。

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 戦後、青線(無許可歓楽街)だった名残で店の間口は狭く二階に座敷があると言う長屋造り。
 路地が幾筋かあるのですが、筋によっていちげんさんの多い筋、美紗のある古くからの常連客が多く通う筋、ボッタクリの店が紛れてる筋とあります。

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 その中に『美沙』と言う店があり、ここの大ママが御歳92歳(当時)になります。一度アド街ック天国の取材も受けてしまいました。

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 トイレも一応ありますが、これがまたひたすら狭いです。便座に座ったら足の置き場に悩みます。扉が二重(手洗い場の扉と便所の扉)になっているので、便所の扉はオープンにするしかないほど。

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 2010年9月、昼のコールデン街を撮ってまいりました。こちらは外側から見た感じ。

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 青線の時代は一階が飲み屋。二階が布団を敷いてある客間。三階が住居と言った感じ。今では二階が住居として使われてます。

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 やはりゴールデン街は他の路地とは違う独特な雰囲気があります。

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 外周には新しい店も多く、テレビで紹介された人気ラーメン店もあり、若者も入りやすいようなバーなども建ち並んでおります。

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 私と連れが長年通っていた『美沙』の大ママですが、2013年の春、残念な事にお亡くなりになってしまいました。享年94歳。私の連れは実の孫のように30年近く可愛がってもらっていたそうです。ゴールデン街でも当時最年長で、新宿の生き字引のような方でした。お悔やみ申し上げます。
 時代の流れとともに、街の景色ばかりではなく人も移り変わって行きます。決して変わらないものは常に追憶の中にしか無いのかも知れません。
撮影・2007年~2010年

追記・2014.10/14

 ゴールデン街最長老だった美沙の大ママが亡くなって以来、約二年ぶりの訪問したら、すっかり雰囲気が変わってしまっていました。

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 なんだこの明るい雰囲気は。
 以前は若い人たちが集まる新しい店の多い路地と、昔ながらのオヤジたちが管を巻く昭和な路地、そしてボッタクリの店が多く紛れている路地と、筋によってそれぞれ特徴があったのですが、『美沙』があった昭和な路地が随分と新しい店だらけになり、若者で溢れているばかりか外国人観光客たちの姿も。水商売ナメてるバカ息子が継いだ美沙が無くなっているのは全然想定内でしたが、あの暗く寂れた昭和の路地裏感までもが消えてしまっている。

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 詳しくは聞いてませんが照明がドピンクな、まるでちょんの間のような造りをした店に、一人の老齢のママさんが座っていました。青線時代からやり手ババアをやっていたのかなんて想像してしまいましたが、その辺は謎のまま。以前『美沙』で手伝っていた私の連れの事も知っており、現在ではこの方が生き字引のような存在かも知れません。
 聞けば最近キャッチの姉さん方も絶滅してしまったそうです。キャッチの姉さんとは夜な夜な飲み歩いている高齢者に声を掛けてスナックに同伴し、上がりの半分を紹介料として店から受け取るという方々。これも新宿ゴールデン街のひとつの顔でしたが、もはや昔の話。

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 確かに以前に比べて商売としては潤い、それがゴールデン街の存続にも繋がっているのかも知れません。しかし、キャッチの姉さんが徘徊し、たまに流しの人が昭和歌謡を奏で、スナックの床では死にかけの爺さんが酔い潰れているような、そんなゴールデン街らしさは無くなってしまいました。実に悲しい事です。

新宿区新宿三丁目、末広亭界隈

 15年近く通っている勝手知ったる街であります。
 新宿三丁目と言えば三越、伊勢丹など、成城のセレブがショッピングに訪れる街。その外れに、寄席『末広亭』を中心に飲み屋街が広がっております。



 ここは結構学生さんたちが多い。昔は文豪や文化人が集まり、現在ではデザイン系や音楽、芸術などを目指す若者たちでひしめき合っています。私も10年ほど前から、よくこの界隈で文学系のオフ会などを開いて来ました。



 中心に鎮座する寄席『末広亭』。落語も結構面白もので、一度は行ってみる事をお勧めします。
 末広亭の右隣、黄色い看板は、いつもオフ会でお世話になってる居酒屋『呑者家』。飲み放題込みで二時間一人3000円とリーズナブルです。その向こうのビルの二階にはトルコ料理屋『ボスポラス・ハサン』。週末にはベリーダンスショーが狭い店内で披露されます。



 末広亭向かいにある『ぼでこん亭』。こちらも古い店で、以前までは建物がびっしり蔦に覆われてました。しかし数年前の火事で蔦は消失。大火事でも無かったので建物はそのままで営業を再開できましたが、店内のレンガや手すり、いたるところに書かれていた落書きも焼けてしまいました。大学生や専門学校生などが多く通い、若者たちの夢が多く刻まれていました。



 末広亭の正面の通りを入り左手の路地を曲ったところにあるバー『どん底』。ちょっと値段設定お高めですが、様々な文豪が集まってた店。ふと座った席の壁に司馬遼太郎直筆イラストが飾ってあったりして驚きます。たまに新宿タイガーマスクがキャバ嬢のネーちゃんはべらせて飲んでたりもする。



 こちらはどん底の向かいの二階にあるソウルバー『baobab』。オープン一年目から、かれこれ10年以上の付き合いになりますが、二次会会場なども大抵ここでやってました。



 手前のマスター、大木氏は後に一本御苑寄りの通りに「ソウルストリーム」を出店。
※以上、撮影・2010年1月

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 こちらがそのソウルストリームです。大木氏は以前経営していた『baobab』を後釜に任せて二店目を出店。70~80年代のソウルミュージックが世代的にツボ過ぎます。

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 いい音楽といいお酒。二件目にちょうど良いお店です。ノリノリで飲み過ぎちゃいます。
※加筆、2014年10月

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