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栃木県那須塩原市(6)、ホテルニュー塩原(宿泊編)~かんぽの宿塩原

 仕事が少し落ち着き、とりあえず温泉で疲れを癒さねば。ということで、栃木県塩原温泉郷、大江戸温泉物語ホテルニュー塩原に泊まって来ました。月曜日だけあって前日でも予約可能。ともすれば予約無しで行き当たりばったりってのもアリだったかも知れない。
 朝、みどりの窓口でJR 直通の特急スペーシアの指定席券を購入しましたが、いきなり人身事故。鬼怒川温泉の荒廃ぶりを見てから塩原入りしようと考えてましたが予定変更やむなし。大宮で指定席券を払い戻し、各駅停車で宇都宮線西那須野まで行きバスで塩原入りする事となりました。しかし開き直ってのんびりしてたら運転再開したスペーシアは出て行くは、気が付けば向こうのホームに臨時団体でカシオペアは入線して来るわで波乱の幕開けです。聞いてないし!

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 西那須野に降りたって見れば極寒。JR バスの窓口は隣の営業所のプレハブ小屋に移設されており、早くも寂れの予感。

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 大江戸温泉物語ホテルニュー塩原は2年前、記録的な大雪で停電となった翌日、日帰り入浴で訪れて以来です。いつか泊まりたいと思っていた宿の一つですが、それにしても巨大。西館(本館)の他に右手に写る東館(別館・潰れたホテルを買収)、写ってませんが川を隔てた左手には湯仙峡(旧館・2015年リニューアル)の3棟からなります。
 前回立ち寄った時の様子はこちら

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 部屋は変な造りの和洋室ですが開放感のあるお部屋。バイキング形式とはいえ、一泊二食付きで8000円は破格の安さ。

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 まずは前回入らなかった本館の大浴場。カランは28ヵ所もありとにかく広い。ただこの日、4ヶ所ほどある源泉投入口のうち1ヶ所からチョロチョロと流れているのみだったためか、とても印象の薄い浴感。月曜日で宿泊客が少なかったからかとも思いましたが、女湯は4ヶ所の投入口から源泉が注がれていて、温度がとても熱かったそうです。
 夕食後、湯仙峡のお風呂に入りましたが、そちらのお風呂は以前入った通りの素晴らしいお湯でした。

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 翌朝、窓の外を眺めれば良い天気。

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 宿泊した西館(本館)から虹の架け橋を渡った先に湯仙峡(旧館)があります。

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 朝風呂は朝の日差しが入り込む湯仙峡1階のお風呂へ。お客さんが多かったため今回は内湯しか撮れませんでしたが、内湯を含めた5つもある浴槽それぞれに源泉が掛け流されています。ナトリウム・カルシウムー塩化物・炭酸水素塩温泉の源泉は七絃の滝源泉と市営門前1号、3号、4号源泉の混合で3棟全ての浴槽の規模に見あった豊富な湯量。多くの利用客が入られるため循環濾過も併用されてますが、特徴ある匂いとヌルスベな肌触り。湯上がりはホカホカでサラサラ。素晴らしいお湯と湯使いをされています。

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 二日目はニュー塩原のある門前地区の少し下流にある塩釜地区を散策。バスを降りると足湯ならぬ指湯があります。指だけ浸けてると、なんだか虚しくなって来ます。

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 なかなか渋くて古いコンクリート建造物は明賀屋別館跡。こちらの建物は現在使われていませんが、箒川の支流、鹿股川の奥に建つ明賀屋本館は営業中です。その本館にある川沿いの露天風呂がJR のポスターに使われていた非常にそそるお風呂なのですが、問い合わせたところ日帰り入浴3200円と言われてやめました。そりゃ高過ぎるでしょ。

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 何気なく散策していると発見!これはジモ専(地元民専用)共同浴場じゃあないですか。以前門前地区で二軒見つけましたが、こちらもしっかり鍵が掛かっています。地元の方にお話を伺ったところ、やはり昔は外来者にも開放されていましたが、酒飲んで入って空き缶を放置するなどマナーの悪い観光客のおかげでジモ専となってしまったそうです。しかしよく聞くと、どの地区の浴場も中には浴槽が一つしかない混浴だそうで、そりゃ観光客に開放されなくなった訳だと納得しました。地域ごとに男性専用と女性専用の時間帯を分けるなどルールが決められているそうです。

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 とにかく寒くて散策続行不可と思い日帰り入浴できるところを探しましたが、平日という事もあり、どの宿も休業。タクシーの運ちゃんに紹介してもらった、かんぽの宿塩原に立ち寄りました。

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「どうせかんぽの宿」と鷹をくくりながら券売機で日帰り入浴券600円を購入。しかし入った瞬間、衝撃の光景が目に飛び込んで来ました。なんだこの黄色いお湯は!

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 黒い石かと思った床石はよく見ると本来茶色で、黒色の折り出物が広い浴室全体にびっしり。48度のナトリウム・カルシウム・塩化物温泉は鹿股2号源泉でダバダバと掛け流されています。お湯入れ替えの時だけ加水しているそうですが、むちゃくちゃ濃いいです。中性のため柔らかい入り心地で個性こそあまり感じられないものの非常に気持ち良く、ついつい長風呂してしまう素晴らしいお湯です。

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 露天風呂もありますが、こちらは同じ源泉を掛け流しているにも関わらず無色透明。内湯との違いは循環濾過している事と加温している点。これだけで無色透明になるのは不思議ですが、浴感も内湯と比べると薄い印象。
 ともあれ、ここのお風呂は当たりでした。

埼玉県飯能市、廃村、白岩集落(後編)

 続きです。

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 沢の奥の高い地点を登山道と並行する形で生活道跡が走っており、峠側に進むと尾根の辺りに一軒の小屋が建っています。看板の文字は消え掛けていて確認困難でしたが、どうやら白岩地区(行政13区)の集会所のようで、中を覗くとたくさんの賞状が飾られていました。

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 沢を渡った登山道は急な斜面をつづら折りに登って行き、するとやがて倒壊した廃屋が姿を現します。

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 村の中心部分は開けた平地。ここに多くの建造物が建ち、畑なども有ったのかも知れません。

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 廃墟サイトを見ると登山者のお休み処を兼ねたお土産屋さんも有ったようですが、この全壊した建物がそれか、確認は出来ず。

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 平地の中央、少し地面が盛り上がった所に祠が有ります。もちろん中身は空っぽ。

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 祠の近くには墓石や石碑、お地蔵様などが乱雑に転がっています。

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 集落を今も見つめるお地蔵様。

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 登山道の右手に現存する廃屋の一軒。玄関は侵入者を嫌ってベニヤで塞がれています。

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 廃屋の裏手には多くの石積があり、何軒もの家が建っていたと思われます。

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 杉林の斜面を登って行くと、幾つもの祠が建っています。

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 山の神に感謝する甘酒祭りというお祭りもかつて行われていたそうですが、この幾つも散在する祠が神社の代わりとして山岳信仰の対象だったのかも知れません。

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 斜面にはすでに崩れてしまった祠もあります。

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 山間には貯水槽もあります。

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 登山道の左手にもう一軒の廃屋があります。

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 この車のオモチャは多くの廃墟サイトで目にします。ポルシェ356でしょうか。

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 フェアレディZ。この上白岩地区には廃屋が二軒残るのみでしたが、村の規模は大きかったと思われます。

埼玉県飯能市、廃村、白岩集落(前編)

 砕石プラント跡から登山道を登って行くと、杉林の奥に白岩集落跡が見え始めて来ます。

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 ここは数多くの廃墟サイトでも紹介されている、比較的有名な物件です。登山道から生活道跡と思われる斜面を登って行くと、一軒目の廃屋。この辺りは下白岩と呼ばれていた地区で、上白岩地区は登山道を更に登った先にあります。

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 中は生活用具がそのままで荒れ果てています。

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 こちらは二軒目。廃屋は去年訪れた秩父の浦山地区を思い出すように斜面のあちこちに散在しており、各家庭が細い生活道で結ばれています。

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 集落の歴史は古く平家の落人という言い伝えもあるほど。昭和三十年頃には二十一軒もの家屋が存在していたそうですが、離村が続き平成6年には廃村化。

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 主に林業や炭焼きを生業としていたそうですが、比較的陽当たりが良いため浦山地区の山掴集落のようなジメジメした雰囲気はありません。

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 三軒目のお宅。杉林が深いため、一軒見つけると更に奥にまた一軒発見すると言った感じです。

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 一軒目のお宅を裏の斜面から。このようにかなり急な斜面に石積みをして土地を造成しているのが分かります。

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 斜面にぽつりとお墓があると思ったら、その更に奥に四軒目が。既に崩落して跡形も無くなってしまったお墓も多くあるのかも知れません。

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 四軒目のお宅。途中、家が建っていた面影を感じさせる更地もあり、かなりの軒数が建っていたと思われます。

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 生活用具が残されたままの廃屋を見ると、まるで突然住人が消えてしまったのかなどと感じてしまいます。

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 この白岩集落の特徴と言ってもいいかも知れませんが、集落の中心には消火栓が設置されています。炭焼き小屋も多かったでしょうから、山火事を恐れていたのでしょう。

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 もう廃屋は無いと思ったら次々と発見します。杉林の奥に見える廃屋。生活道は特に整備されていないような獣道に近い物で、崩落や風化も進んでいるため注意深く探さなければなりません。もっとも、ここまで来ると斜面をよじ登っても大して変わりませんが。

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 それにしても昭和60年、つまり廃村化してから30年以上は軽く経っていると言うのに、よくこれだけの家屋が現存し続けていると思います。

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 もちろん解体されて更地になっている敷地もありますが、解体したらしたで廃材を搬出するのもひと苦労です。車が全く入って来れない山奥だからこそ、逆に廃屋と生活用具が存在し続けているという部分もありますが、もし土地の所有権を持っていなければこれ以上の不法投棄はありませんね。

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 集落の奥に開けた斜面がありますが、おそらくは畑と思われます。埼玉県西部の山間部では、段々畑を造らず斜面をそのまま耕すという特徴があります。

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  登山道に戻り、鳥首峠方面へと再び歩いて行きます。途中消火栓があると思ったら、左手の谷を越えた反対側に一軒の廃屋が確認出来ました。しかし橋を渡った先の斜面が崩れており、行く事を断念。

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 更に登山道を登ったところにかかるこの橋は、崩れ掛けているため通行禁止。小さな沢を飛び越えて進みます。それにしても、考えて見ればこの山道が通学路なんですよね。

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 沢を遡った先に一軒の廃屋。写真奥の斜面を登ると、先ほど探索した集落の一番奥へと繋がっています。


 後編に続く。

埼玉県飯能市、白岩石灰採掘所跡

※写真の点数が多かったので、2つの記事を3つに分けました。

 もう一月も半ばですが、あけましておめでとうございます。昨年は埼玉の廃村で締めくくりましたが、年明け一発目もまた廃村からスタートします。

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 去年訪れた浦山地区より廃村を繋ぐうわごう道で鳥首峠を越えた先、山の東側は飯能市(旧・名栗村)になります。西武池袋線の飯能駅からバスで入間川上流域を登って行くのですが、路線バスが1時間に2本ペースで走っており、思いの外便が良いです。またアニメ『ヤマノススメ』のラッピングバスも走っていることからアニメの聖地巡礼でも集客があるようで、それにしても特に観光地化されてもいない山里でこれだけバスの本数が多いのは、今の時代奇跡に近いと思います。国際興行バス頑張ってる。

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 途中には『さわらびの湯』という日帰り入浴施設もあります。帰りに立ち寄ってみましたが、源泉温度15度の冷鉱泉を加水加温、循環濾過し、塩素消毒された単純温泉で、あまり特徴を感じられないお湯でした。内湯と露天があり、内湯はジャグジーで撹拌されているのに対し、露天はお湯が少々汚い。ちょっとイマイチな感じでした。

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 バス停の近くにはいきなり廃墟。造りからして老人ホームかなにかでしょうか。

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 終点の名郷バス停から県道73号線を、途中キャンプ場などを眺めながらひたすら登って行きます。渓谷を流れる水は澄んでおり、夏場はさぞレジャー客で賑わうだろうなどと思いながら歩いていると通学路の標識。これから訪れる白岩集落の子供たちは、かつてこの道を毎日通っていたのでしょう。

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 県道を登り切るとJFEミネラル武蔵野鉱業所に辿り着きます。

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 事前にネットで調べたところここに巨大な石灰プラントが有ったはずなのですが、なんと既に操業停止、それどころか解体されすっかり更地になっていました。

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 帰ってから改めて調べてみたところ、2015年3月末をもって閉山してしまったとの事。ここ数年、タッチの差で消えてしまった物件が余りにも多いです。もっと早く来ていれば。

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 プラント跡の脇に鳥首峠への登山道があり、その先に旧白岩集落跡があります。プラントの脇に沿ってしばらく登ると、眼下の工場敷地内に線路が見えて来ます。ここが第一の目的地だったのですが、既に廃止されていたとは悔やまれてなりません。

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 線路はすぐトンネルに入り、尾根の向こう側に出ます。短い区間ですが頂上手前の採石場から降ろして来た鉱物を、プラントまで運び出す役割を担っていました。私は青年時代よりずっと狭軌の軽便鉄道や森林鉄道、専用線などへの憧れがありました。下津井、立山、奥大井(観光用として現存)、尻屋崎など、絶滅寸前に訪れたナローゲージはたった4箇所。もっと昔の時代に生まれたかったなんて思ってみたりもします。

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 登山道を鳥首峠方面へと歩いて行くと、並行してミカン畑などでよく見るモノレールが敷かれてますが、これはプラントからトンネルを抜けて来た専用軌道の終点から、山頂近くの採石場まで作業員を運ぶために使われていたそうです。

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 登山道を旧上白岩地区まで登ると視界が開け、左手には採石場から崩れ落ちて来たのか、石灰瓦礫の斜面が広がる。頂上付近が採石場になるのですが、そこまで登る道はありません。しかしここで謎が。採石場ではダンプや大型重機などが作業していたのですが、その採石場までの作業道が全く見当たらないのです。

 廃村、白岩集落の記事へと続きます。

【年末スペシャル】記憶に残った情景(2016総集編)

 早いもので.2016年も終わろうとしています。もはや毎年恒例にしようと思っている総集編、今年も一年を振り返りながらピックアップして行きたいと思います。

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 今年は年明け早々、悲しい事実を知る事から始まりました。田町と品川の間、運河に掛かる高浜橋の袂に残っていたバラック集落が、立ち退きを迫られた末ついに全滅してしまったのです。高浜橋の架け替え工事計画にかこつけて不法占拠発祥のバラック群を一掃したかったのでしょう、工区とは関係のない範囲も含めたバラック群全域が立ち退き対象とされてしまいました。
 ここのホルモン『はるみ』は何度も飲みに行った店で、女将さん共々多くの常連さん達に愛されていました。オーナーの方はしつこい都の職員にも屈せず頑張っておられたのですが、再開発特区に指定され大きく変貌を遂げつつあった街で、とうとう時代の流れに飲み込まれてしまったようです。

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 その高浜橋から真っ直ぐ第一京浜へ向かうと、東海道新幹線、東海道線、山手線、京浜東北線を潜り抜けるためのトンネルがあります。ここが提灯殺しのトンネルの異名を持つ高輪橋架道橋です。ちょうど旧品川車輌基地の下に当たるため距離が長く、そして何よりも天井が低いため、タクシーの屋根に乗っている通称提灯がスレスレなのです。
 しかしこのトンネルも、車輌基地跡地の再開発に伴い消滅すると思われます。なにしろ山手線の新駅は出来るわ将来的にはリニアの駅も出来るわで、かなり大規模な再開発となるでしょう。

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 船橋から海岸の近くまで歩いたところにバラック群があります。この地域は都疎浜と言い、戦時中都心から疎開して来た人々がそのままこの地に住み着いたと言われています。しかしその中でも運河を背にした一帯は戦後のドサクサに不法占拠して建てていたため、市から移転を迫られていました。現在でも一部住んでいる方が居るのですが、運河に杭を打ち込みせり出す形で建ててあるため、バラック建築の多くが写真のように運河へと落ち込み倒壊寸前となっています。

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 まだまだ寒かった三月、二回に渡って旧関東鉄道鉾田線(旧鹿島鉄道)廃線跡を訪れました。ここは私がまだ小学生の頃、旅好きの父親に連れられてローカル線の旅として訪れた鉄道です。しかし当時の私は霞ヶ浦沿岸の、延々と続く葦の原野に失望した覚えがあります。風光明媚な車窓の景色を期待していた私は、想像したのと違うと思ったのです。しかし歳を重ね、改めて訪れようと思った時にはすでに廃止され、その遺構を歩くしかありませんでした。写真は八木蒔駅跡。森の中の素晴らしい駅ですが、もうここにディーゼルカーのエンジン音が鳴り響くことはありません。

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 旧鉾田線の終着駅のあった鉾田の街を歩いていた時、このガソリンスタンドの廃墟が目を引きました。まるで空爆に遭った戦地のような、と言うと大袈裟ですが、この光景は非常に印象に残りました。東日本大震災で液状化現象を起こし、鉾田駅及び周辺の線路も甚大な被害を受けた事を契機に鉄道が廃止され、過疎化に拍車が掛かりました。このガソリンスタンドは、そんな寂れてゆく街を象徴するかのように思えました。

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 小学生の頃、父親に連れられ訪れた真鶴水族館は廃業寸前で、その廃退的な雰囲気が強く印象に刻まれています。思えばそんな幼少期の記憶が、今の廃墟好きのルーツとなっているのかも知れません。その追憶の彼方に眠っていた真鶴水族館跡地に、我ながら物好きだなあと思いながら訪れてみました。海岸へと降りる廃道を進むと、そこは生け簀跡の堤防がただ残るだけの建造物も何もない入り江。しかしその奥には、忘れ去られたかのように磨崖仏の観音様が海を眺めながら佇んでいました。

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 今年、いや、今までで最も感動したと言える共同浴場の平治温泉。河原に向かって畦道を下って行くと、林の中にポツリと一軒の掘っ建て小屋。外来者にも解放されているとはいえ半地元専用の共同浴場のため看板も何も出ておらず、ここがまさか温泉とは誰も気付きません。このシチュエーションもさることながら、気泡がびっしり肌を包む鮮度抜群な炭酸泉も素晴らしい。個人的な好みとしては非の打ち所がない一湯でした。

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 伊豆高原にある廃ループ橋。幾つかの廃墟サイトでその存在を知り、いつか行って見たいと思い続けていた念願の場所です。いつしか打ち棄てられ、解体されもせずただ放置され続け、一部崩落してもなすがまま。今年に入って特に私の中で廃墟巡りがエスカレートした訳ですが、この廃道に入るために道でも何でもないただの斜面をよじ登った時、自分の中で何かが吹っ切れたような。悪い意味で(笑)。なんかもう後戻り出来ない領域へと足を踏み入れてしまった、そんな気がしてなりません。

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 石切り場としてテレビにも紹介され有名となっているのは栃木県の大谷石採掘場ですが、ここ群馬県の藪塚石採掘場はマイナー過ぎて殆どの方が知らないと思われます。大谷石採掘場に比べて規模も小さく坑内にも入れないという、ほとんど観光地化されていない遺構ですが、山の中に突如現れる人工的な断崖は、非日常的な光景を見せてくれます。

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 廃墟好きが高じて、今年は廃校もチェックするようになりました。この鬼石小学校跡は昔の姿を綺麗に残す貴重な木造校舎です。鬼石を訪れた時は路線バスの本数が少ない中で、この廃校跡と温泉にターゲットを絞って巡りましたが、宿場町としての街並みも見事なので、今一度訪れてみたいと思います。

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 今年は茨城、千葉、群馬、埼玉と、足を伸ばすことが多かった。都心はだいたい撮り尽くしてもう面白いネタも無くなったかな、なんて思っていました。しかし探せばまだまだ面白い街はあるものです。ここ本郷界隈は関東大震災や東京大空襲の際に火災から逃れていたため、古い木造建築が多く残されています。文豪が暮らしていた街という見方で歩くと意識高い系の観光客みたいになってしまいますが、実際に歩くと写真のような下宿屋のような木造建築を見つける楽しみがありました。

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 三業地、という言葉自体を恥ずかしながらこれまで知りませんでした。料亭、待合い、芸妓置屋が営業を許可されたエリアの事を三業地と言うのですが、それまでは神楽坂や向島、赤坂などの事を「ただの料亭街」と呼び、庶民的な赤線、青線、遊郭などと区別していました。しかし、三業地として探せばまだまだ知らない花街の多い事に驚かされます。そんな三業地の中でも大塚は、人知れずしかし現存し続ける花街の一つです。歩いて調べて初めて知ることが、都心にもまだまだ沢山あることを思い知らされました。

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 9月に入って二回ほど内房を訪れました。富津岬周辺はアクアラインの開通により多くの人が訪れるようになり、三井アウトレットパークなどの巨大施設も建ちホテル三日月も大人気。そんな中、年に一度ゴールデンウィークにしか人が来ない限定観光地である潮干狩り場に、海に続く電柱群という珍しい景色があります。ただ、最近この場所はテレビなどで紹介されるようになって以来すっかりメジャーになってしまい、しかも満潮の夕方の凪いでいる時に水面に映る電柱群という、非常に幻想的な景色がちゃんとしたアマチュアカメラマンの方々によって撮られているため、日帰りスケジュールで午前中にパッと行ってパッと撮った写真などでは全然見劣りしてしまいます。しかし、これも消えゆく景色の一つであるのは確かです。

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 6Frogus様という私の敬愛するサイトがあるのですが、そこで過去に紹介されていてずっと行きたいと思っていたスポット。岩谷観音堂です。現在では行政主導のもと保存への動きがあるようですが、以前は地元の方しかその存在を知らず、荒れ放題だったとか。その頃に行って見たかったと思うばかりですが、今でもその存在はほとんど知られる事無くひっそりと佇んでいます。

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 千葉県の房総半島には太平洋戦争末期、米軍による首都上陸に備え、様々な軍事施設が造られました。特に内房地域には今でも砲台跡や弾薬庫跡などの遺構が人知れず残っています。その一つ、山あいの畑の中に有人特攻ミサイル、桜花の発射用カタパルト跡が、草木に覆われ眠っています。幸いにも本土決戦の前に終戦を迎えたため使われる事はありませんでしたが、貴重な戦争遺跡です。

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 9月末に行った北海道旅行は衝撃の連続でした。特に帯広の街の広大なスナック街と、その荒廃ぶりは歩いてみて初めて知りました。帯広スナック街は碁盤の目に造られた街の至る所に「コ」の字、または「ニ」の字形の長屋造りという特徴的な造りになっています。特に写真のスナック長屋は全滅しており廃墟化していました。

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 本来は糠平湖湖底に残るタウシュベツ橋梁跡を見るツアーを予約したのですが、今年の夏は異常気象で雨が多かった影響もあり、例年より三ヶ月も早くダム湖の水位が上昇。タウシュベツ橋梁は湖の底に沈んでしまいました。代わりに開催されたのが廃線跡、旧士幌線のアーチ橋を巡るツアーでした。本来の目的とは変わったものの、その内容の濃さは充分過ぎるほどでした。

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 浦山ダムのダム湖周辺に点在する限界集落には過去訪れた事が有りましたが、その周囲の山々に多くの廃村が存在する事を後に知り、リベンジの意味で再訪しました。写真はその廃村の一つ、茶山集落跡です。想像以上に家屋が残されており、また秩父地方山間部特有の斜面にへばりつく集落は圧巻でした。また廃村探訪はこの時が初めてで、すっかりハマってしまう事に。

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 茶山、嶽集落を訪れた翌週、写真の栗山集落と山掴集落を訪れました。この二つの集落はさらに足場が悪く生活道は崩れかけているため、斜面をよじ登って回らなければなりません。それだけてはなく集落の中に熊の糞が転がっており、つまりガチで熊出没注意なのです。訪れるにはそれなりの装備と心の準備が必要です。しかしながらこの栗山と山掴集落の雰囲気は凄まじいものがあり、一度は行くべきだとも思います。

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 特に山掴集落は今年最も印象に残った場所と言えます。杉の生い茂る山肌、たとえ廃村でなくしても、ここに集落がある事自体あり得ない光景です。どのような人々がどのような暮らしをしていたのか、山育ちの私でも全く想像がつきません。薄暗く湿った木立の中の家々は非現実的で、生活感すら感じられませんでした。

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 今年の上旬、千葉の栄町を訪れた後時間が有ったので、津田沼の温泉銭湯鷺沼温泉に立ち寄りました。しかし運悪く臨時休業で入れず、12月になってやっとリベンジする事が出来ました。何もない住宅街の中に突然姿を現す、屋根の崩れかけたバラック建築。看板が無ければまさか銭湯だとは思いません。しかも入って見れば地元の常連しか分からないシステムや至るところが放置プレイなところ、激熱な湯船など、戸惑う事ばかり。ここまで来ると貴重な存在です。

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 その存在を初めて知ったのは関東懐旧街さんというサイトに紹介されていた記事を読んでから。ずっと気になっていた場所ですが、埼玉の真ん中というのは「どうせ何もない」という先入観から、どうしてもモチベーションが上がらないのです。しかし、行ったら行ったで面白い場所はあるものです。握津集落は都心を水害から守るための荒川改修工事で堤防が集落より内陸部側に築かれてしまい、文字通り取り残されてしまった村です。住人たちは全て堤防の内側へと引っ越し家屋は全て取り壊されてしまいましたが、広大な農地は元住民たちの手により今でも耕作されています。そのため集落の痕跡を残しつつも人の往来は有るので、農村から家屋だけが消滅したという不思議な雰囲気を醸していました。

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 今年最後の締めは大塚の立ち飲み屋『秀吉』。今年は初夏の頃から大塚に仕事で通い、この街のポテンシャルに驚かされました。新宿の隣の大久保にかつて住んでいた私にとって、池袋の隣の大塚はとても居心地の良い街でした。都市の隣には貧民街やホテル街がある。上野に鶯谷、新宿に大久保、渋谷に神泉円山町。池袋に対するホテル街は分散していますが、どこかやさぐれたこの街の雰囲気は懐かしさすら感じる。そんな大塚で一軒の立ち飲み屋さんが消えて行きました。

 そんな訳で一年を振り返ってみましたが、今年はとにかく廃墟と立飲みどきどき温泉な一年でした。都内の町歩きはほとんどせず、逆に千葉や埼玉、茨城、神奈川などへの日帰り旅が多かった。本当は関西や九州も行きたかったのですが、それはまた来年に持ち越しという事で。
 それでは、今年も一年ありがとうございました。来年もまた新たな探検を続けて参りますので、宜しくお願いいたします。皆様も良いお年を。
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