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【日記】貰い物の折り畳み自転車を輪行してテスト走行

浅草橋にある行き付けの居酒屋の常連仲間の方から折り畳み自転車をいただきました。パンクした状態で何年も放置していたそうで、多少整備が必要なのですが、とりあえずタイヤのチューブを交換しブレーキを調整して潤滑油を差して走らせてみようかと思います。本当は錆びたチェーンを交換してブレーキワイヤーも交換したい所ですが。まぁそれは来月お金が入ってから。

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Amazonで買った輪行バッグに入れて高崎線に乗ります。なんたって輪行バッグなんて30年ぶりぐらいです。20代の頃はマウンテンバイクを輪行バッグに入れて各地のレースに遠征しに行ったりしてましたが、あの頃は若いから平気で出来た。

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Amazonの安っすい(2700円)輪行バッグなんて買ったもんだから、早速チャックがおかしな事になってます。本当はこう言う物にはお金かけた方がいいんですよね。

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今回はまず乗り換えが一回で済む事と都心を通らない事を条件に。埼玉県深谷市のJR高崎線岡部駅に来ました。10年近く前に仕事で来たことありますが、駅前は全く変わってない感じ。相変わらず何もないです。
本当は鉾田市の旧大洋村の別荘地へ行って見たかったのですが、朝早いし乗り換え無茶苦茶あるし、そう言った意味で敷居が高いので、今回は予行練習みたいな感じで。

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tern(ターン)製20インチ自転車を折り畳んで収納したところがこんな感じ。まあまあコンパクトで、思ったより軽いです。ただ結局、輪行で考えるとこの大きさだったら折り畳みのメリットってあまり感じないのも正直なところ。マウンテンバイクの前後輪を外して輪行バッグに収納した時に比べれば断然コンパクトなんですが、結局どのみち邪魔なもんは邪魔wwww

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一瞬で組み終わるのは折り畳み自転車のいいところ。
運転免許を持っていない私は行動範囲が非常に制約されます。特に近年、過疎化に加え燃料費の高騰、ドライバーの高齢化などから地方の公共交通機関、特に路線バスの減便や廃止が加速しております。電車バス頼りの自分にとっては死活問題で、特にここ何年かは無茶して何時間も歩いたりしていました。

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さて、走り出す前に腹ごしらえ。駅前の笑(エミ)カフェと言う店でカレー焼きそば。カレー感はそんなに感じなかったのですが、食べているうちにどんどんハマって行きます。いや、これ美味いぞ。

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すっかり満腹になり店を出たところ、なんとこの店でレンタルサイクルをやってるではないですか!
1日500円。はい、この時点で目的地に岡部を選んだ意味が無くなりましたww
電車もバスも無く、かと言って歩いて行ける距離ではない上にレンタルサイクルも無いような目的地に対して、輪行バッグによる現地での自転車移動と言う選択肢が増えた訳ですが、レンタルサイクルが有るんだったら重い思いして自転車持って行かなくても、現地で借りればいいじゃんって話です。

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気を取り直して岡部駅から北東方向、利根川を目指して走ります。途中、高床式倉庫みたいな中宿古代倉庫群跡があります。7〜8世紀の遺跡で建物が復元されていますが、関東平野って古墳なども無茶苦茶多いんですよね。

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こちらが第一の目的地、岡部消防組第一部の消防小屋です。中宿古代倉庫群跡の手前、南側の旧中山道沿いにあります。我ながら目的地が渋すぎる!
戦前の昭和6年竣工のコンクリート造で、以前は火の見櫓も建っていたそうです。

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旧中山道を道なりに進むと小山川に掛かる北岡橋があります。煉瓦産業で有名な深谷が近いため橋台はイギリス積みの煉瓦造りで、親柱と欄干は花崗岩。昭和3年建造で登録有形文化財です。

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橋を渡ると本庄市に入ります。この辺りは低地で稲作と二毛作による麦作、丘陵地に農村と言った地形となりますが、立派なお屋敷が多いです。またこの地域では養蚕も盛んで、屋根の上に通気用の櫓があります。北関東の養蚕農家でよく見る造りですね。

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なんでこんなデカいんだってくらい巨大な母屋。築年数も古そうです。

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さて利根川が近づいて来ました。その川べりに蚕種産業で栄えた島村と言う集落があります。この後、その島村集落へと入って行きます。

【日記】上野コリアタウンで焼き肉

先月末辺りから急に仕事が忙しくなり、全く写真撮りに行けません。今年は月最低でも3記事と決めて来ましたが、今月は無理そうです。なので日記でも書いて一応更新はしときます。

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上野、首都高の向こう側にあるコリアタウンの一角へ焼き肉食いに行くのはコロナ前以来で、もう3年以上ぶりとなります。

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いつの間にか角にある一番大きな店、大門(左側)が閉店となっていた、と思ったら後日まだ営業していた事が分かりました。週末の夜に閉まっていたので、てっきり。以前はこの馬山閣さん(右側)に月イチぐらいのペースで通っていたのですが、今回訪れたら満席で入れず。時間が8時と遅かったのがいけなかったみたいです。

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仕方ないので裏通りへ。今回は初めて入る富士吉にて。この店は30年くらい続けられてるそうですが、内装は綺麗にリフォームされていました。値段は安い肉は安いなりに、高い肉は高いなりにと言ったところ。ただ、ハラミが安い割にめちゃくちゃ美味い。
しまった!バクバク食って肉の写真を撮ってないヨ!

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先週の土曜日でしたが神田で時間潰して上野で待ち合わせて焼き肉食って、浅草橋の居酒屋寄ったら雨。カラオケ居酒屋に顔出して最後は朝までカラオケボックス。結構お金使ってしまった。
また来月も上野に来れたらと思います。

栃木県足利市(4)、足利健康ランドと足利健康センター

お盆休みに訪れた東京健康ランドが今月頭に閉店となり、テレビなどでちょっと話題になりました。東京江戸川区の東京健康ランドは近頃増えたスーパー銭湯とは違う昔ながらの健康ランドでしたが、とうとう都内に於ける健康ランドは全滅してしまったと思われます。しかし他県にはまだ残っているだろうと言う事で検索したところ、今回訪れた足利健康ランドがヒットしたわけです。
足利と言えば3年半前に訪れた鹿島園温泉が昭和な健康ランドとしては最強と思ってますが、まだ他にもあると言う事で行って参りました。

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足利健康ランドは東武伊勢崎線で足利市駅のひとつ手前、東武和泉駅の近くにあります。3両編成の伊勢崎線とチャリ通学の学生を見て、地方に来たなと実感。

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この外観。どう見ても地方の巨体パチンコ店にしか見えません。開業したのは1988年。まさにバブル期の健康ランドと言った感じ。夜になるとネオン管が煌々と光ります。

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向かい側にはコジマ電気とニトリ、そしてショッピングセンターのアピタなどが密集しており、足利市南部郊外の国道293号線沿いのマイカー商業圏を形成しております。

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玄関入るといきなり吹き抜けにシャンデリア。この足利健康ランドを経営しているのはサンリク株式会社と言って、近年では柏、野田、越谷などでスーパー銭湯事業も展開しております。

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露天風呂の写真は公式サイトよりお借りします。天然温泉こそありませんが浴場は広く、人工炭酸泉や薬湯、別府の温泉の素をふんだんに投入した白濁の湯など、様々な浴槽があります。他にもサウナだけでなくプール(水風呂浴槽)まで完備。湯上がりは石窯で作るピザや卓球、カラオケ、岩盤浴、エステなどなど、巨大施設だけあって充実していました。家族連れでも全然1日過ごせます。やはり健康ランドはスーパー銭湯とは違いますね。

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さて、歩いて渡良瀬川を渡りJR両毛線北側の市街地へ。

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市街地の東側、小高い丘の上に大谷石で造った塔が見えます。Googleで調べたところ、これは金剛閣と言う建造物だと分かりました。

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麓から丘へ登る所には冨永公園入り口を示す石塔が。ここはレンガ造の織物工場や煙突の請負業で財を成した富永金吉氏が私費を投じて整備した公園だそうです。

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しかし急な私道はしばらく誰も通っていないような荒れ方。塔は個人宅と併設されているようです。

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なんとか辿り着きましたが民家は雨戸が閉められており、住んでる様子が窺えない。ちなみにこの塔は大正14年(1925年)に建てられたとか。民家の奥に公園があるのかもしれませんが、すでに藪に覆われており進む事が出来ませんでした。

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懐かしい自販機。缶のクリームソーダって子供ながらに不味いと思った。

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丘の東側を回り込むように北へ進むと、足利健康センターの看板が。先ほど訪れた足利健康ランドと非常に紛らわしいですが、ネットでたまたま見つけました。

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ドーン!
前もって情報を得てから訪れたとは言え、この強烈なお出迎え。

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ここ、廃墟じゃないんです。営業中なのです。

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かつては接骨院もやられていた模様。色々と謎が多いです。

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建物は二階建てで旅館のような造り。敷地面積は非常に広く、駐車場だったと思われる場所には廃車両が何台か放置されています。

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いよいよ玄関。もはやジャングルと化している。現在は月曜日定休、営業時間は16時〜19時、土日祝日は16時〜21時と非常に短い。と言っても実際開いたのは16時20分頃でした。

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雨樋が壊れて垂れ下がっています。そこかしこに注意書きの貼り紙があり、入るにはかなりの勇気が必要。

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そして勇気を振り絞り入ったら入ったでゴミ屋敷状態。下駄箱の扉は外れかけており、鍵などはありません。

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ロッカーにも鍵などはありません。盗難に遭ったら自己責任で。そしてなぜこのような状態でも営業し続けて行けるのか、その答えはここが同性愛者のハッテン場、つまり出会いの場所となっているからなのです。

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ほんの1時間前まで健康ランドの露天風呂に浸かってた事を考えると、これは夢でも見ているのでしょうか。カオスを通り越している。
こういう話はあまりつまびらかにしない方がいいのかも知れませんが、いわゆるハッテンサウナと言う場所は都内に数カ所存在します。それらは会員制と明記する事で一般人(ノンケ)が迷い込まないようにされていますが、対してここは外観から既に一般人を寄せ付けない効果がある。

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お風呂はちゃんとしていました。もちろんサウナも完備。剥がれたタイルが隅っこに寄せ集めてあったりしますが。脱衣室の横に薄暗い休憩室がありましたが、すでに人がいたので撮りませんでした。実は自分以外に3人の男性が続々と入って来ていました。ちなみに女湯もちゃんと有りましたが、多分使われる事は無いでしょう。

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二階に宴会場(休憩スペース)があるので行ってみましょう。調理室と言う事は、昔は料理も出していたのでしょう。

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宴会場にはステージともう使われてないだろうカラオケの機械があります。この施設がいつ頃開業したのか分かりませんが、開業当時は健康ランドとして賑わっていたんだと思われます。

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宴会場は明るくテレビもついており、ちょっとほっとします。これは想像の域を出ませんが、創業者である先代が引退されてから現在のような状態になったのではないかと思われます。そして老朽化も含めてどんどん荒れて行くにつれ客足が減り、それをいい事にハッテン場へと変貌して行ったと言う。

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しかしまぁ、地方に暮らす同性愛者の方々にとっては貴重な出会いの場である事に間違いありません。果たしてこの足利健康センターはいつまで残るのか、全ては一言も喋らない無愛想な店主のやる気がいつまで続くかによると思われます。

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冨永公園入り口近くのホルモン焼き万平。絶対美味いと思うのですが、もう帰らないといけない。やっぱり足利は泊まりがけで来たい所です。

埼玉県桶川市、熊谷陸軍航空学校桶川分教場跡

旧日本海軍における飛行学校の中枢が以前訪れた土浦海軍航空隊予科練であるのに対し、旧日本陸軍における飛行学校が所沢陸軍飛行学校および熊谷陸軍飛行学校などになります。ちなみに予科練と言う言い方は海軍でしか使わないようです。

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その熊谷陸軍飛行学校の分校が保存されていると言う事で桶川に降り立ちました。桶川の中心街は西側であり、駅前には巨大駐車場を併設した東武ストアが。

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バスの時間までちょっとあったので裏口と言える東側を軽く歩きました。かつては商店街として多少栄えていたようですが、大半の建物は解体され駐車場や空き地になっています。

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そんな中、商店街の面影を残す建物が。ただしとっくに閉業となっている様子。

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こちらはパン屋さん跡の裏の玩具屋さん跡。ほんとにこう言った個人商店て生き残ってないです。

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それはさておき本題に入ります。JR桶川駅から西へバスで10分。荒川の河川敷に熊谷陸軍飛行学校桶川分教場があります。荒川の向こう岸にはかつて滑走路があったとか。

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道すがら、周辺から集められた陸軍の境界石が何基も置かれています。

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こちらが桶川分教場。飛行機は第一次世界大戦で初めて軍事利用が始まりましたが、日本に於いては大正9年(1920年)、陸軍所沢航空大隊に航空学校が開校しました。その跡地は後に航空自衛隊入間基地となります。

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正門左手には守衛棟が残っています。陸軍が航空兵力の増強に本腰を入れ始めたのは満州事変からと言われてますが、昭和10年(1935年)、熊谷に陸軍熊谷飛行学校が開校し、その2年後の昭和12年(1937年)、ここ桶川分教場が開校しました。

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守衛棟の内部。畳や電灯などが当時の姿に再現されています。

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守衛棟の脇にはコンクリート造の弾薬庫が。小さいですが学校なので銃弾が多少あればいいんでしょう。

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正門を入ると右手に車庫棟があります。ちなみに海軍の方では昭和4年(1929年)、横須賀海軍航空隊の中で予科練習制度が設けられ、14歳以上20歳未満が飛行技術を学ぶ事となります。

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車庫棟の天井。これらの建物は一度解体し、腐った部分などを接木で再生させ、再度組み立てるという復元整備のための大改修工事を行いました。ちなみに改修前の状態は帝都を歩く様で詳しくレポートされています。比べて見ると本当に綺麗に復元された事が分かります。

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こちらが兵舎棟。工事が終わった令和2年(2020年)、桶川飛行学校平和祈念館として再び一般公開される事となりました。終戦の年、昭和20年(1945年)2月、熊谷陸軍飛行学校と並んで桶川分教場も閉校となり、以降終戦まで特攻隊の訓練場となりました。

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内部は綺麗に磨かれており、戦前の建物とは思えないほど。この兵舎は戦後GHQに摂取され、その後戦地からの引揚げ者や戦災による生活困窮者のための市営住宅「若宮寮」として使用されました。

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宿舎棟には貴重な写真や資料などが展示されています。当時の練習機と言えば複葉機の九五式I型中間練習機、通称赤とんぼと呼ばれていた機体。

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寝室が再現されています。狭いので足と頭を交互にして寝る形に。太平洋戦争に於いては多くの少年や青年たちがここで寝食を共にしながら学び、戦地へと送られて行きました。

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こちらは当時の教科書。改めて考えてみれば戦争以前までの日本語って、漢字とカタカナなんですよね。漢字と平仮名と言う現代の文章って、戦後の学校教育から一般化したと言った感じで100年も経っていない事になります。もちろん平仮名は平安時代から存在していましたが、あくまで私的文書や女性が使う文字とされていました。

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宿舎棟の奥には便所棟があります。他にも幾つか棟がありましたが、GHQに摂取された際に取り壊されたそうです。

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ここも当時の形に復元されています。

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内部は学校当時の内装に復元されていますが、2006年まで市営住宅として人が住んでいたそうです。

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改修工事がされたとは言え、ここまで当時の姿を残していたと言うのが奇跡的と言えましょう。今後ロケ地などにも活用出来そうですね。

茨城県つくば市(3)、続・無人と化した公務員宿舎群

前回はつくば駅を中心に歩き回りましたが、続編と言うことで今回は観光協会でレンタルサイクルを借りて郊外まで足を延ばして見ました。

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H-2Aロケット打ち上げ延期で今話題のジャクサ!
宇宙航空研究開発機構、通称JAXAの研究施設はつくば駅の南東3キロ弱に位置します。午前中仕事で昼過ぎの訪問だったので、中を見学する事はできませんでした。

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そのJAXAからさらに東へ行ったところにあるのが公務員宿舎の並木2丁目住宅。つくば学園都市の歴史やらは以前書いたので端折ります。

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基本的には二階建て二軒長屋の構造。ここまで来ると駅から4キロ。歩くと50分掛かり、バスを利用しても10分プラス徒歩掛かります。

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中央を貫く私道の左右に各戸の門が並びます。駅から離れているも何も建設されたのはつくばエクスプレスが開通するずっと前。近くには文部科学省産業技術総合研究所があります。

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上の写真右手、南側住戸の入り口。構造は英語の「C」の字みたいになっており特徴的。と、思ったらなんと一軒だけ住まわれている方がいました。無人じゃなかった。

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こちらは左手、北側の住戸の入り口。一戸建てではなく、あくまで二軒を繋げて一棟にするには理由があるのでしょうか。建築法とか団地に関する法律とか。あくまで集合住宅ですよ的な。

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内部はなかなか広いです。車があればJAXAにも通勤できますね。まぁ送迎バスぐらいは有ったかも知れませんが。

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やはり退去する際、畳などを張り替えなければならないんですね。凄い綺麗になってます。今すぐにも入居できるくらい。

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ただ外周部がこれです。恐らくは最後の住人が引っ越した時点で解体されるのかと思われます。

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周辺は一戸建て住宅の造成地ですが、Googleマップの空撮を見ると周辺も元々は公務員宿舎の跡地である事が窺えます。

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さらに東側には3階建団地建築の区画もあります。

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この地区、一棟につき数軒の入居者がおられますが廃止、解体が予定されているかと思われる。

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なかなか凝った造り。80年代の建築でしょうか。

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TXつくば駅から離れているので土地を買い取る企業が本当にいるのか疑問に思います。壊すには勿体無い立派な建物ですし、民間への売却からの再開発以外に活用方法は無いのでしょうか。

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例えば低い家賃で生活に困っている人に貸すとか、ウクライナからの難民を受け入れて住まわせるとか。まぁ近隣住民が反対するか。

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ひと区画に必ず1ヶ所は公園が完備されています。ここよりさらに東側には3階建が5棟からなる並木4丁目住宅がありましたが、すでに解体工事中でした。

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4丁目住宅跡地の北東側に広がっているのが並木3丁目住宅。

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こちらは一棟に1軒が入る2階建の棟となります。中心街から離れていて辺鄙な代わりに、集合住宅形式ではなく広々とした部屋数の多い棟ですよ、と言うことか。

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広い敷地に60棟が建ち並んでいますが、すでに無人と化しています。

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私道も草木が伸びるまま。

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奥の方に行くと福島県双葉町役場つくば連絡所と言う看板が。あの東日本大震災の原発事故で帰宅困難地域となった双葉町。仮設住宅代わりに被災者の方がが住まわれていたのでしょうか。

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その双葉町も一部を除きだいぶ帰れるようになりました。しかしここを離れても双葉町へは帰らずに、都市部へと引っ越された方も多いようです。

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ここに来てやっと学園都市以前から住んでおられる農村地帯が見えて来ました。

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さて、並木地区を離れ南西へ4キロ進んだところに松代5丁目住宅があります。

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こちらは二軒で一棟、瓦屋根の2階建となります。公務員宿舎の7割が廃止となる予定ですが、ともすれば削減計画が発表された2011年以前から廃止は始まっていたのかも知れません。だって、どう見ても9割以上が無人または1〜2軒住むのみの状態ですし。

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かなり立派で部屋数も多そうですが、こちらもすでに無人。ゴーストタウンの様相となっております。

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ここから北へ3キロ進めばTXつくば駅。バスも走っております。

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隣接する松代5丁目住宅の東地区。

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こちらも同じような構造ですでに無人化。

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敷地内の歩道やベンチも荒れ放題です。

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一戸建ての住宅街との決定的な違いは、棟ごとに境界となる塀が無い事。あくまでも団地に部類されるわけです。

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少し開けて建物全体が見える所がありました。基本的には木々が伸び放題に伸びているのですが、部分部分草が刈られているようで、あるいは最近まで住んでいたとか。

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隣接する区画ではすでに宅地造成が進んでいました。TXつくば駅まで3キロ、バスで9分。一戸建て住宅4000万と言う広告も目にしましたが、果たしてどれほどの需要があるのか。

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西側には3階建の棟が建ち並ぶ区画も。こちらはまだ数軒住んでおられるようです。

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最後に松代5丁目から北へ2キロ、松代1丁目にある文部科学省外国人研究者宿泊施設跡。

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区画はロープで閉鎖されており、私道も草に覆われています。

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名前の通り外国人の研究者が短期間滞在する施設です。

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気持ち天井が高く造られているような気がしますが、使われなくなってかなりの年月が経っているようにもみえます。
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