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埼玉県秩父市浦山地区(7)、浦山中学校跡と川俣小学校跡

 浦山地区はおよそ600年以上の歴史がある平家の落人集落があるくらい古くから人々が暮らして来た土地ですが、以前書いた通り江戸中期には17集落に180戸、ここ近年の人口の推移としては昭和30年に1244人(262戸)いた人口が昭和60年には494人(164戸)、平成12年には212人(89戸)まで減少しております。

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 栗山集落の入り口がある西斜面の県道と、山掴集落の入り口がある東斜面の旧道が交わる南側、つまり上流側に掛かる橋の袂に旧浦山中学校跡があります。昭和22年に開校され、昭和60年にはダムの下流の影森中学校に統合されました。翌年の昭和61年には日向集落にあった浦山小学校も影森小学校と統合されてしまいます。

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 校庭の隅には百葉箱と、既に使われなくなった廃道があります。この中学校の周辺には特に集落などなく、浦山川沿いに散在する集落群の中間地点にポツリと建っています。

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 帰りのバスまで時間があったので、浦山川沿いに上流まで歩いて行きます。この先の三叉路を左手に登って行けば、沢伝いに大神楽、武士平と二つの廃村があり、日向集落へと出るうわごう道へと繋がります。そちらはまた次の機会にという事で。
 熊出没注意って、分かってます。知ってます。

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 途中、毛附集落対岸の崖地に建つ民家。ちゃんと住んでらっしゃる家ですが、浦山地区がいかに急峻な土地に暮らしているかがよく分かります。

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 毛附集落。舗装路があると安心しますが、だからこそこの集落には廃屋が殆ど無く、多くの方が暮らしています。驚いた事にこの集落には、一軒だけ民宿も営業中。

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 人が住んでいるというだけでここまで雰囲気が違うものかと、廃村を巡って来た後だけにつくづく思います。ただ、商店というものは一切ありません。ばかりか、自動販売機というものも私が確認した限りにおいては、浦山ダム湖湖畔の大谷集落に一台有った限り、それ以上奥では一切見かけてません。なので飲料などはダムを越える前に用意しておくか、水筒を持参しなければなりません。特に夏場などでは水分補給する手段を準備しておく必要があります。

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 毛附集落のすぐ上に川俣集落があります。7年ほど前に訪れた際は、何の収穫も無いままここで引き返してしまいました。

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 カーブする県道の外側には狭い旧道が残っており、そこからかなり急な階段が始まっています。

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 登って見ると大きな岩肌を背に丹生大明神が祀られていました。

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 人の住む集落としては最奥部となる川俣集落。県道と並行して走る旧道沿いに民家が立ち並んでいます。

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 その集落の高台に建つ、旧川俣小学校跡。こちらは明治31年に開校し、平成4年に廃校という長い歴史があります。

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 川俣集落最奥部にある浦山大日堂。路線バスの終点もこことなります。この大日堂では8月16日と10月の第4土曜日に催される獅子舞が有名だそうです。
 廃村巡りは正直言って二か所が体力的に限界です。なので、次回また浦山地区を訪れる機会があればその時は、大神楽、武士平、細久保などの廃村を訪れたいと思います。もちろん熊鈴持参で!


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埼玉県秩父市浦山地区(6)、廃村、山掴集落

埼玉県秩父市浦山地区(6)、廃村、山掴集落

 栗山集落から浦山川に戻り、上流にかかる橋を渡って対岸、東側斜面の旧道を少し下ります。その途中、ちょうど栗山集落の向かい側あたりに山掴集落へと登る狭い生活道があります。

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 山掴集落は他の廃集落群とどこか雰囲気が違います。杉しか生えて無い日当たりの悪い斜面は平坦な土地がまるで無く、ひたすら石垣を積んで無理矢理集落を築いたといった感じです。

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 理由は簡単で、栗山や嶽、茶山が農業を主幹としていたのに対して、ここ山掴は林業のために造られた集落であるということ。

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 日当たりが悪い事から全体的にジメジメしており、シダ植物が多く群生しております。

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 そのため土は柔らかく崩れ易いため、石積みで基礎を造成する際も、さぞかし苦労したんだろうなと思います。山を掴むように建つ集落という意味で山掴という地名になったのも頷けます。

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 この倒木の向こうの木のうろにマネキンの首が置かれてます。どこぞの輩の作為的な悪戯でしょうけど、ほんっっとうにやめて欲しいですこう言うの。マジビビるから!

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 生活道の奥まで登って行くと山に向かって左手に道が分かれており、先の倒木を潜った先に五軒ほどの廃屋が連なっています。

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 どの廃屋もかなり古く、人が住まなくなってからも随分と年月が経ったようで半壊しております。

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 それでもこのような土地に残り続けている事が凄い。

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 この集落は前回訪れた嶽集落と共にゲーム『サイレン』の舞台のモデルとされていたため、廃墟好きの間でもそこそこ有名らしく、多くの人が訪れているようです。

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 長屋のように連なった軒を進むと、途中倒壊した小屋と崩れた石垣に阻まれているため、これ以上奥に進むのが困難となり、引き返しました。建物の中を迂回すれば行けなくもないですが、中は床も抜けており危険と判断しました。

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 家屋は一本の生活道から上へ下へと幾つも分かれた道の奥にあります。こちらは既に全壊した家屋。ここ山掴は昭和51年に地滑りがあり、それが離村の大きな理由に繋がったとか。

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 全壊家屋の奥に辛うじて残っていたのは斜面にせり出した浴室か何かでしょうか。

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 全壊した家屋の奥にもう一軒、小さな廃屋が残っています。最初ただの小屋かとも思いましたが、冷蔵庫など生活の跡が残されています。

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 生活道の脇には幾つもこのような小屋がありますが、薪などを貯蔵していたと思われます。また斜面に幾つかのお墓が残されていますが、栗山集落と違いここの墓地は墓石が残されたままとなっています。中の骨壷はちゃんと玉抜きされて引っ越されたのか、あるいは今でもお参りに来られ管理されているのか、はたまたもうお参りされる方も居なくなり放置されてしまっているのか。

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 最後にほぼ全壊に近い廃屋。しかし先程栗山で発見した熊の糞がここにも。
 ウソでしょ!こっち側の斜面にも熊さんが!
 もし訪れる方がいたら、くれぐれも熊鈴などの対策を忘れないように。私の実家にもこのような杉林の斜面が多く子供の頃よく遊んでいましたが、とにかく前回訪れた嶽や茶山に比べ、今回の栗山と山掴は足場が悪く上級者向けと言った感じです。

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 旧栗山集落には最盛期で10軒のお宅が生活を営んでいたそうですが、今回の訪問では9軒(内1カ所は更地)が確認出来ました。段階的に過疎化が進んで行ったので、廃屋になってからの年数は様々。当然傷み方も様々です。

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 さて、唯一林道沿いに建つ一軒目の廃屋の少し上、杉林の斜面を登ってゆく生活道跡に分け入って行きます。溶けた雪で落ち葉が敷き詰まった斜面が濡れ、ぬかるんでいるため非常に滑りやすいです。

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 最初に見えて来たのは通算五軒目のお宅。トタンを外壁に貼っているだけで近代的に見えてしまうのは、私の感覚が麻痺して来た証拠。

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 ウィスキーの瓶、食器、お膳、テレビはダイヤル式チャンネル。生活の痕跡が有りまくりです。

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 五軒目の脇をすり抜けて行けば六軒目の廃屋。

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 布で出来た簡易式クローゼット。来訪者が開けたのでしょうか。開けたくなる気持ちは分かります。

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 洗濯機は外。

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 母屋の向かいの小屋はトイレ。雪が積もった夜中などには行きたくないですね。

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 六軒目の裏手を登って行くと七軒目の廃屋が有るのですが、右手の沢が鉄砲水で崩落しており、生活道が崩れています。

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 左手に迂回して石垣をよじ登るしか無く、暫し覚悟を決めてからアタック。思わずよろけてipadが土に刺さった!

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 なんとか登って七軒目。奥の方は崖崩れを起こしてます。治山工事もするわけです。

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 懐かしい子供用ギア付き自転車。しかし自由に乗り回す平地が無いと言う、ウチの実家もそうでした。

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 集落を巡る生活道のそこかしこに祠が祀られていますが、当然中身は空っぽです。

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 さらに奥へと登って行くと、恐らくは一番高い場所に建っているであろうと思われる八軒目の廃屋。天井が高く非常に立派な木造建築です。

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 向かいのトイレ小屋もしっかりと残っていました。
 さて、そろそろ下山します。今まで登って来た生活道の反対側にまた別の生活道があったので、そこを降りて行きました。すると途中、杉林が途切れ草が生えた場所に巨大な糞が。これ、冬眠を前にして秋の味覚を堪能している熊さんしかないでしょ。だって太いんだもの!しかも出来たて!
 マジか! やっぱ熊鈴買わなきゃダメか!

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 ちょっとビビりながら斜面を降りて行くと林道へ戻る直前、広い空き地を発見。ここに九軒目の家屋が建っていたのかもしれません。


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埼玉県秩父市浦山地区(4)、廃村、栗山集落(前編)

 前回訪れた嶽、茶平集落から浦山川を挟んだ対岸、西側斜面に残る栗山集落を訪れました。

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 開けた南向きの斜面には石垣で造られた段々畑が広がっており、かぼすでしょうか、野生化した柑橘類が収穫される事のないままたわわに実らせていました。

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 そのまま舗装された林道を登ってゆくと一軒の廃屋が姿を現します。

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 中は雑然としていますが、恐らくは訪問者が勝手に開いたアルバムがそのままにされています。

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 林道から崖下に降りてゆく生活道の跡を入って行きます。紅葉はもう終わりかけで、林の中は先日積った雪が溶けて雨のように降り注ぎます。

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 崩れやすい斜面を慎重に降りた先に二軒目の廃屋。

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 アプローチの悪さに驚くばかりです。実際人が住んでいた当時でも、急で狭い石段には当然手摺りも無く、滑り落ちたらそのまま崖です。

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 お風呂と洗濯場。このような斜面に家を建てた事も驚きですが、洗濯機を運び込んだ事も驚き。

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 台所。鍋やヤカンが出されたままなのも謎。

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 今まで巡ってきた集落同様、トイレは決まって外に造られています。

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 正面玄関に廻って見ましたが、玄関出たら即崖です。

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 さらに奥へ進むと三軒目の廃屋が。手前の小屋やトイレはすでに崩落しています。

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 斜面を登り林道に出る手前には四軒目の廃屋。

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 来訪者が引っ張り出して来たのか、新聞紙の日付けはなんと昭和54年とあります。

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 一旦林道に戻ります。相変わらず梢からは雪の塊が落ちてきます。林道の奥は治山工事のため通行止めとなっていますが、この栗山集落の奥は栗山と言う山で、林業のための道路でしょうか特に集落はありません。

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 林道の脇を登って行くとお墓の跡がありました。墓石は引っ越した様子。

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 舗装路に出ると生きた心地がして、思わず苔生した石垣なんか撮っちゃいます。後半では林道の山側斜面を登って行きます。


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埼玉県秩父市浦山地区(3)、廃村、嶽集落

 寄国土(ゆするど)トンネルの入り口、つまりダム側の脇にも山あいに登ってゆく道があります。そのつづら折の急な坂道を登ってゆくと日向集落に出ます。

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 湖畔を見下ろす7世帯ほどの小さな集落はほぼ人が住んでおり、近くには斜面を開墾した畑も広がっています。家は古民家がほとんどで、険しい土地にへばり付くように建つ奥秩父特有の農村風景が残っています。

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 集落の一番奥には集会所の建つ広場がありますが、ここには近年まで廃校となった浦山小学校の木造校舎跡が残っていたそうです。その広場左手の脇道が、嶽集落へと続く道です。

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 この登山道のような山道は『うわごう道』と呼ばれる、日向、嶽、巣郷、有坂、茶平、武士平、大神楽などの山間集落を結ぶ生活道でした。しかし現在、日向以外の集落は全て廃村となり、この道もほとんど使われなくなってしまいました。生活道とはいえ見ての通り車も通れない道です。しかし、もしかしたらかつて各集落から日向集落にあった浦山小学校まで、子供たちがこの道を通っていたのかも知れません。

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 高台に一軒の廃屋。しかしロープが張られ立ち入り禁止となっています。

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 実はこの手前の開けた場所には廃屋が残っていたのですが2013年8月、放火により2棟の廃屋が全焼してしまったとか。ちなみに放火犯の26歳男性はすぐ逮捕されたそうです。

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 焼け残った風呂と厠。この嶽集落は2003年秋に発売されたPS2用ホラーゲーム『サイレン』の舞台のモデルとなり、その事から多くの人に知られ訪れる人も増えて行ったそうです。地元の方々にとっては迷惑な話かもしれません。

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 ちょっと気になる立て札がお地蔵さんが並んでいる所に立てられていました。盗まれたのか、お地蔵さんが一体消えてしまったそうです。火事が起きたのはそのバチが当たったのではという。

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 高台の廃屋の他、道沿いには二軒の廃屋が現存しております。しかし二軒とも建てられた時代がかなり古い事と、廃屋となってから相当な年月が過ぎている事などから、すでに半壊しております。

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 こちらの蔵もいつ倒壊するか分かりません。

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 左手奥の家屋はすでに全壊。

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 嶽集落の奥には十二社神社というお社が有ります。

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 社の奥には猿の親子がこちらの様子を伺っていました。

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 嶽集落は日向集落から十分もかからない近さに有るので、恐らくは日向に住む方が綺麗に管理されているのかと思われます。

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 今回訪れた茶山と嶽以外にも、先に述べた通り『うわごう道』沿いには多くの廃村が有ります。またそれ以外にもダムの対岸には若獅子、浦山川沿いに栗山、山掴、更に上流域には細久保や冠岩など数多くの廃村が存在します。この地域には必ず再び訪れようと思いました。
 たまたま多くの廃屋が解体されずに残されていたため、この地域の廃村群が幾多の廃墟サイトで紹介されているのかもしれませんが、奥秩父に限らず全国にはまだまだネット上でも知られていない廃村が多く存在し、同時に過疎化に伴い増え続けている事と思われます。


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