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神奈川県横須賀市横須賀中央(2)、横須賀中央駅周辺

やっぱり横須賀は好きです。どぶ板通りなどはすっかり観光地化されたものの、2006年と2007年過去に二度訪れた時と、街の景色がほとんど変わっていません。

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仕事中、昼メシどうしようと考えた時、そう言えば海軍カレーって食べてないなと。てな訳で京急横須賀中央駅近くにある横須賀海軍カレー本舗に入って見ました。場所はCoCo壱の隣(笑)。一階は観光案内所の併設されたお土産屋さんになっています。

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艦これ運営鎮守府も納得だそうです。なるほど、軍港の街としては艦これに乗っからない手は無い。

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唐揚げが無駄に美味い。いや、さすが横須賀名物だけあってカレー、マジ美味いです。仕事で来てるのに気分はすっかり観光客です。

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海軍カレーを出て交差点を渡ると、アンテナに引っかかるような気になる居酒屋さん「福ちゃん」が目に入りました。立ち飲みと書いてある。この交差点を右奥に進んだところに、かつて金星劇場というピンク映画館があったそうですが、すでに解体されマンションが建っています。残念で仕方ない。噂では晩年、あちら系のハッテン場的な痴漢映画館になっていたとか。いわゆる上野地下劇場みたいな。

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夕方改めて「福ちゃん」に入って見ればカウンターに椅子の並ぶ座れる居酒屋さんでした。イワシ刺し、粉茶ハイ、共に300円でシステムは代引き。祝日にも関わらず営業している、地元密着型のお店です。

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福ちゃんの脇にはスナックビル系飲食店街。

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横須賀中央駅から駅前大通りを進んで右手に入ると老舗の焼き鳥屋「相模屋」さんがあります。

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夕方通って見れば、案の定の人だかり。カウンター席もありますが、立ち食い、持ち帰りの店って感じです。

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この駅前大通りから一本入った路地裏の狭さは、都心とは雰囲気の違う地方都市ならではのものと思います。

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飲み屋街は若松町3丁目の崖下に広がる路地裏迷宮地帯だけではありません。

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8月12日、昼休みに歩いていたら年に一度の沖縄フェスティバル、第10回いーちゃ・イチャ・フェスティバルが開催されてました。横須賀でまさかのエイサー。

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市役所前の広場には特設ステージや屋台などが出ていたので、昼メシは出店の沖縄ソバにしました。しかし仕事中のためビールは飲めず、午後は頭の中がオリオンビールでいっぱいでした。そして夕方、待ちに待ったビール。なんだろう、すっかり横須賀を満喫しているんですけど。(笑)

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駅前大通りに戻ると左手通り沿いに三笠ショッピングセンターがあります。三階建の細長いビルで、中はアーケード商店街のようになっており、いわゆる昭和のショッピングモールと言ったところ。ちなみに二階三階は各店舗ごとに階段があるメゾネット形式。アーケードの屋根の上は洗濯物も干せる二階共用スペースとなってますが、関係者以外立ち入り禁止。

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ショッピングセンターが終わった先にも古い商業ビルが。大滝名店ビルと言って二階はスナックやバーなどが入っています。

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その向かいのビルの壁にリスさんが!山が近いからこそですね。

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最後に若松飲食店街入ってすぐ、姐さん方が切り盛りしている立ち飲み屋「310(サトー)」さん。出勤前に一杯飲んで行ったりスナックや居酒屋の前の一杯目として立ち寄るような、地元に愛される良い店です。

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コロッケ、ヤッコ、キムチ、ハムカツなど簡単なおつまみは100円。代引き制で割り物300円、生500円。通いたい店がまたひとつ増えてしまいました。

神奈川県横須賀市横須賀中央(1)、若松飲食店街の路地裏迷宮

2017年のお盆期間中は横須賀で仕事となりました。久々に訪れる横須賀ですが、朝や昼休み、仕事帰りなどを利用して散策して行こうと思います。

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横須賀中央駅随一の繁華街である若松飲食店街、若松町3丁目へと入って行きます。

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狭い路地がクランク、ドンつき、T字路と複雑に入り組んでいます。突き当たりに惹かれる建物。

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その左手にもこれまた渋いスナック。まるでカフェー建築なんて考えてしまうのは病気みたいな物で、横須賀の赤線跡と言えば安浦、皆ヶ作(その内行きます)、柏木田(その内行きます)などの有名どころが周囲にあります。

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しかしながらこの迷路のように張り巡らされた路地は人目をはばかるが如くで、青線にしろ私娼にしろ、何がしかは有ったのかも知れません。

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奥へ進むと崖が迫るという三浦半島らしい地形。崖を背にこれまたバラックのような飲み屋さんが建ち並んでいます。

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横須賀中央駅の海側右手に入ってすぐの通りで、ここが飲み屋街のメインストリート。ちなみに京急線はトンネルから出て来て駅を挟み即トンネルへと入って行きます。

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こう言う雰囲気、たまらなく好きです。

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鉄筋コンクリートとは言え、このスナックビルはかなり年季が入っています。

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ビルを抜ければ向こう側の路地に出られる。

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狭い迷路は歩いているだけでも楽しいです。

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上の写真、ピントぼけてるはブレてるは暗いはで、どうしようもない物ですが、2006年に酔っ払いながら古い携帯で撮ったもの。この廃墟が非常に印象に残っており、いつか必ず再訪しようと頭の隅でずっと思い続けていました。次の記事で訪れる立ち飲み屋「310」のママさんや常連さんに聞くも、気が付けば廃墟で昔は何だったのか覚えてないとの事。

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同じ場所に行って見ると、案の定解体されていました。もちろん奥に写る高層マンションも当時はありませんでした。

横須賀、まだ続きます。

栃木県日光市足尾(5)、鉱山住宅跡(その2)

今回はわたらせ渓谷鉄道終点の藤間駅から先の鉱山住宅跡を見て行きます。

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本山方面へ少し登ったところ、旧貨物専用線の踏み切り跡の手前右手に数棟の社宅長屋が残っていました。

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ここは一般住宅や商店の多い下藤間地区の一番奥になります。

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共同トイレに便器が残っていましたが、絵柄が焼き付けられています。高級なのか、その当時流行っていたのか、初めて見ます。

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藤間駅前の古河機械金属足尾事業所が近いからか、建物は倉庫として利用されてました。

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欄干など凝った造りとなっています。

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この建物は集会所か何かだったのでしょうか。

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下藤間から上藤間を抜けた先、右手の沢伝いに深沢地区がありました。元々はこの道が日光へと抜ける道だったようですが、明治24年、馬車鉄道が開設されてからは廃道となったそうです。

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明治35年の大火で深沢地区は全焼。そのためこのような防火壁が造られ、跡地に多くの社宅が建てられたそうです。

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しかし現在では全ての長屋が解体され、石垣のみが当時の面影を残しています。

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公園の跡。ここにはかつて八聖山金山神社がありました。

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渡良瀬川に戻り、少し登って川を渡ったところが南橋地区です。渓谷と旧足尾専用線の間の狭い土地に社宅長屋の列があります。

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各長屋の共同トイレは崖っぷちに建ち、下水はそのまま川へ。この地区にはまだ住まれている方が結構居るようです。

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本山製錬所の向かい側、住宅地の奥に赤沢婆火社宅があります。

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空き家ばかりでここもすっかり無人かと思いましたが、一番奥の棟に一人老人の姿が。

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一人暮らしなのでしょうか、お話を伺う事は出来ませんでしたが、だとすれば閉山後一人去り二人去り、一つの村社会が消えてゆく時の流れを、一体どんな気持ちで見詰めて来たのか。

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こちらは合宿と書かれた棟。どのような用途だったのかは不明ですが、社宅住民の共用棟として沢山の思い出が詰まった場所だったと思われます。

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本山製錬所の大煙突を川向こうに眺めながら歩くと、やがて右手に開けた土地が。

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防火壁で一般住宅と区切られたこの広大な空き地には、かつて愛宕下鉱山住宅がありました。

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もはや一棟も残っていませんが、石垣や階段が当時の集落を偲ばせます。

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現在このような長屋跡では植林活動が続けられています。人々がこの地を去り、または亡くなり、廃墟化する長屋は解体され、今、森に還ろうとしている訳です。繁栄と環境汚染の末、資源の枯渇による衰退を経て、人々の故郷と歴史が木々に覆われてゆく。それが果たして正解であるのか偽善であるのか償いであるのか。後々公害問題についても取り上げて行きますが、燃料のための森林伐採と亜硫酸ガスによる煙害で緑を失った山々では、1897年から現在に至るまで100年以上もの間植林活動や治山事業が続けられており、その資金に莫大な税金が使われています。
今回の足尾散策はこれまで。次回は草が枯れた頃の季節に、廃棄物の堆積場や小滝鉱跡、本山鉱山神社跡、簀子橋堆積場などを巡りたいと思います。まだ2〜3回は通わなければならないようです。


栃木県日光市足尾(1)、足尾銅山観光
栃木県日光市足尾(2)、旧足尾線貨物専用線跡
栃木県日光市足尾(3)、足尾銅山本山製錬所跡
栃木県日光市足尾(4)、鉱山住宅跡(その1)
栃木県日光市足尾(6)、簀子橋堆積場

栃木県日光市足尾(4)、鉱山住宅跡(その1)

足尾は銅山全盛期の1916年には栃木県内において宇都宮市の4万人(当時)に次ぐ人口3万8千人を抱えていました。しかし閉山後は人口の流出によって2千人にまで落ち込んでいます。かつて谷底にひしめき合うように長屋が建てられ現在ではそのほとんどが解体されましたが、歩いてみると消えた町の痕跡があちらこちらに見ることが出来ます。

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町の中心部だったわたらせ渓谷鉄道足尾駅周辺には、接待のための古河掛水倶楽部や重役役宅、所長邸宅(写真)、副所長邸宅、課長邸宅などが保存されています。中を見る事も出来ますが、あいにくこの日は休館日でした。

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手前に建っているのは旧足尾銅山鉱業事務所付属書庫。

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周辺に建っている長屋も恐らくは役職の高い人たちの社宅だったのでしょう。他とは違い垣根で囲まれています。

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空き家が多い中、まだ住まわれているお宅も。

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廃屋となった辺りは雑草も生え放題。足尾の住宅は基本的に古河グループの社宅がほとんどだったので、平家の長屋造りが多いようです。

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足尾駅の裏手の斜面にも廃屋がありました。この家は一戸建てなので会社関係者ではなかったのかも知れません。

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さらに奥へと進むと廃長屋が二棟。山深い谷間なので少しでもなだらかな斜面があれば造成していたようです。

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足尾駅から先、川を越えたところに渡良瀬地区があります。

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いくつかの地区には最盛期の写真と解説の書かれた案内板が建てられているので、集落巡りするのも楽しいかと。

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こちらが現在の渡良瀬地区の様子。石垣が当時の面影を残しています。

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昭和30年の時点で879人暮らしていた人口も、現在では数軒が暮らすのみとなっています。

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江戸期、2〜3軒の農家と耕作地しかなかったこの土地も、明治時代に入ってから古河鉱業の社宅が建てられて町が形成されました。

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ほとんどが更地となっていますが、まだ数棟の長屋が残り一部では人も住んでいます。

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渡良瀬地区の奥、支流の神子内川沿いに細い旧道を進むと、やがていくつもの廃長屋が見えて来ます。対岸には渡良瀬川を離れた国道122号が走り、その道は日光へと続いています。

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ここは田元地区と言い、鉱山住宅(社宅)の集落がありました。無人ながら多くの廃長屋が解体されずに残っています。

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ただ、藪がハンパない。そもそも7月に廃墟巡りをするのが失敗というもの。秋から冬に掛けて再び訪れる必要があります。

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右奥、藪の向こうに金属製の鳥居が。廃神社と思われますが、とても行くことが出来ません。

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基本的には無人ですが一番奥に工務店の建材置き場があるようで、廃材を燃やす煙が立ち昇っていました。しかしこれだけ長屋が残っているところを見ると、最近まで住人が残っていたのかも知れません。

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こちらは集会所跡。ここだけ草が刈られてます。しかし次の瞬間、右手の深い藪中でガサガサと物音が!姿は見えないけど獣がいる。途中、猿のものと思われる糞を見かけたので、恐らく猿だったと思います。しかしビビった。マジビビった。

続きます。


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栃木県日光市足尾(2)、旧足尾線貨物専用線跡
栃木県日光市足尾(3)、足尾銅山本山製錬所跡
栃木県日光市足尾(5)、鉱山住宅跡(その2)
栃木県日光市足尾(6)、簀子橋堆積場

栃木県日光市足尾(3)、足尾銅山本山製錬所跡

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終点の間藤駅を降りると目の前に古びた工場があります。

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どう見ても廃墟ですが、ここは古河機械金属足尾事業所となります。古河電気は何と無く聞き覚え有りますが 、あまり一般には知られてはいません。

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しかし古河は明治10年より足尾銅山で財を成し、財閥にまで上り詰めた名門です。今でも機械産業やマテリアル事業などを続ける巨大企業です。あのユニックも古河の傘下だし、あの富士通も古河電気工業とドイツのシーメンス社との合弁会社だったとか。

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間藤からさらに奥へと国道122号を進んでゆくと、やがて遠くに古河機械金属本山製錬所硫酸工場が。この辺りまで来ると亜硫酸ガスによる煙害で樹木が枯れ果てた山肌が見え始めて来ます。国道122号と言えば埼玉県民が「ワンツーツー」と呼んでいる幹線道路ですが、まさかこんなところに続いていたとは。

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製錬所手前の舟石林道を登って行きます。ちなみに製錬所跡は裏山の上に広大なソーラーパネル畑を造り、平成25年より電気を出荷しています。なので現在でも所内には事務所があり関係者以外立入禁止。さらに撮影禁止の看板もありました。不法進入しようとする輩がいるのでしょうか。

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この辺りではパイプが山肌を這っている光景をよく見かけます。地下水を逃し崩落を防いでいるのでしょうか、用途は不明。

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少し登ったところで見えて来るのは変電所跡。現在はすぐ奥に新しい変電所が建てられています。

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すっかり廃墟となっていますが、立入禁止のためがっちり囲われていました。この林道をさらに登って行くと坑道口である本山抗跡や、廃神社の本山鉱山神社などがありますが、今の季節は藪がハンパないので次回改めて訪れようと思います。

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足尾銅山は江戸時代から採掘が始まった幕府直轄の鉱山でしたが、幕末期に産出量が一気に落ち込みます。しかし明治10年に古河市兵衛が銅山経営に乗り出し、同14年に新たな鉱脈を発見。その後機械化、効率化が進み、より深く掘り進める技術が開発されるなどして産出量を増やして行きます。

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明治時代を通して古河鉱業(当時)の銅山経営は久原財閥の日立鉱山、住友家の別子銅山とともに急速な発展を遂げ、20世紀初頭には日本の銅産出量の40%ほどの生産を上げる大銅山に成長しました。(参照・Wikipedia)

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対岸より製錬所の遺構を眺める事が出来ます。製錬所は現在でもその施設を利用して廃酸、廃アルカリなどの産業廃棄物リサイクル事業を行っているそうです。足尾銅山は備前楯山を取り囲むように、この本山抗の他、小滝抗、通洞抗などがありましたが、この本山抗の施設が最も規模も大きく中心的な存在でした。

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明治期に亜砒酸も産出し、精錬の副産物として硫酸も生産していた足尾銅山ですが、同時に深刻な公害問題も起こしていました。この小学校の社会科教科書にも載った足尾銅山事件は、全国に足尾銅山の名を負のイメージとして知らしめたものでした。

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わたらせ渓谷鉄道で来る途中、通洞駅に到着する手前の左手車窓に見える廃墟は、現在足尾銅山観光として公開されている通洞抗の選抗所跡です。足尾銅山は輸入自由化のもと、増大する海外鉱石の圧力と鉱脈の枯渇などにより、昭和48年には足尾銅山を閉山しましたが、公害対策に掛かる費用による採算性なども原因だったのかも知れません。

まだ続きます。

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栃木県日光市足尾(2)、旧足尾線貨物専用線跡
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