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【日記】大曲花火大会2018

25日土曜日、大曲花火大会に行って来ました。諏訪湖、長岡と並ぶ超有名で規模の大きい花火大会。その存在を初めて知ったのは、昔やってた桃鉄の花火スタンプラリーカードから。私の地理に対する知識の大半は桃鉄で出来ています。(笑)

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羽田から秋田空港へ。着陸直前、山里の上を掠めるような低空飛行に不安を覚えながら到着。山の中に滑走路がある事も、秋田市内からバスで35分も離れていることも、着いて初めて知りました。

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折りしも秋田は金足農業高校の甲子園準優勝で沸いてます。後で貼り足した「準」の文字がなんとも言えない。

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秋田駅のビジネス旅館、なにわさんに一旦荷物を置かせていただきます。大曲花火大会当日の宿泊については大曲市内やその周辺では特別料金として値段が跳ね上がり、なおかつ予約もなかなか取れません。またネット上では秋田市内にしても安い宿は早々に満室となる中、秋田の観光協会に直接電話して、素泊りで安いビジネス旅館を紹介してもらいました。

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比内地鶏の親子丼と稲庭うどんに舌鼓を打ちながらお腹を満たし、いざ大曲へ。

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花火大会に向けて大増発された臨時列車に約50分揺られて大曲へ。しかし駅から事前にチケットを取っていた花火大会会場の椅子席まではおよそ30分歩かされました。途中、実に気になる建物を発見。

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モザイクタイルの円柱がカフェー建築を思わせますが、大曲について何も調べてないので詳細不明。大曲市内もいずれ機会があればじっくり散策したいところ。

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そんなこんなで雄物川河川敷の会場に到着。とにかく80万人と言われる人の多さが恐ろしいです。しかしいざ始まれば足の疲れも吹っ飛ぶほどの壮観さ。隅田川に毎年通っていた者としてもバカみたいなデカさに、ただただ圧倒されました。

大曲花火大会の動画

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秋田駅への帰りも人だらけ。結局宿に着いたのは午前1時近くとなりました。

千葉県旭市、香取海軍航空基地跡

戦後73年目の終戦記念日ですが、今回は千葉県の銚子の少し手前に残る香取海軍航空基地跡を巡ります。

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香取海軍航空基地は昭和13年に着工、竣工を迎える昭和18年にはかなり戦局も悪化していました。現在その滑走路跡は工業団地になっており、Googleマップを見ると特徴的な十字の地形がはっきりと残っています。
https://goo.gl/maps/tfHYjgCsBNk
上の写真は春海第一掩体壕(後述)に建っている案内板より。

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こちらは南西から北東に延びる1500m滑走路の南西端。道路の対して斜めに工場施設が延びる。

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北西から南東に延びる1400m滑走路と1500m滑走路が交差するあたり。滑走路跡地は基本的に工場の私有地ですが、交差する地点の西側から少しだけ当時の1500m滑走路が見れます。冬に来た方がもっと見渡せたでしょう。

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基地施設は滑走路の西側にありましたが、今では高校やゴルフクラブ、工場などが建ち並びその面影を見ることは出来ません。手前の広い敷地はかつて格納庫などから滑走路へ向かう誘導路だったかと思われます。遠くに見える1400m滑走路跡地はそのまま日清紡の自動車ブレーキ工場のテストコースとなっており、事前に見学を交渉しない限り外からは一切見ることが出来ません。テストコースの周囲は防風林のように木が植えられており、さらに柵にも囲まれています。

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こちらは1400m滑走路跡、現テストコースの北西端。

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滑走路の西側を走る道路脇に、夏草も刈られぬままの小さな公園があります。そこにひっそりと佇んでいるのがこの戦没者慰霊碑です。慰霊碑の中には訓練中に亡くなった方、防空戦や特攻で亡くなった方、そして爆撃や機銃掃射で巻き添えを食った地元住民の方などの名簿が納められています。七十数回目のお盆、献花こそ出来ませんでしたが御冥福をお祈りして合掌。

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神風特攻隊は主に鹿児島県の知覧陸軍航空基地などが有名ですが、昭和20年2月、ここ香取海軍航空基地からも硫黄島などに向けて飛び立って行きました。

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公園の奥には戦後、アメリカより支給された海上自衛隊練習機、ノースアメリカン社製T-6テキサンが展示されています。敵国ながら同じ時代の機体を展示している訳ですが、昭和20年2月に米艦隊空母より飛来し香取飛行場を飛び立った零戦と戦ったのは、グラマンF6F,F4U、カーチスSB2C、ダグラスSBD。零戦を展示することこそ憚かりながらも自衛隊の練習機を展示するのは忖度だろうか。

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香取航空基地の北西端の田園に、戦闘機を格納する晴海第一掩体壕(えんたいごう)が残っています。現在は農機具小屋として使われていますが、隣に解説板(1枚目写真)が立てられています。

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昭和19年10月末、サイパン島より飛び立つことが可能となったB-29はいよいよ本土爆撃を開始します。東京に向けて高度10000mを飛行するB-29に対し高度8000mの射程しか持たない対空砲台は役に立たず、航空機を従来の格納庫に閉まっておいてはいずれ標的にされると考え、滑走路周辺に散らすように防空壕のような掩体壕を建設しました。物資の少ない中砂利を混ぜたコンクリートで造り、上に土を被せて発見し辛くさせています。

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すぐ隣には晴海第ニ掩体壕も残っています。このように屋根の付いてる有蓋掩体壕は全部で25基造られ現在残るのは三基。他にも『コ』の字形に土を盛っただけの無蓋掩体壕も多く有りましたが、それらはすでに面影を残しておりません。

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こちらは基地の反対側、南東端に残る掩体壕です。完全に私有地の中にあり土地の方を見つけられなかったので近寄りませんでした。所有者と思われるお宅も有りましたが、あまりにも立派なお屋敷でピンポンもなかったので、二の足を踏んでしまった。

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近くの畑に海軍旗が掲揚されていました。当時を知る基地に縁のある方がいらっしゃったのかも知れません。もしご老人を見かけていたらお話など聞けたかも知れません。
また、香取航空基地建設の際には多くの地元住民の方々が強制退去させられ、建設の際には多くの朝鮮人労働者が使われたそいです。その朝鮮人労働者たちは基地の南の森に朝鮮部落を形成したと言う話も。それらもまた戦争が引き起こした事象のひとつという訳ですね。

板橋区成増、成増マーケット〜和光市の銭湯

今回は仕事で成増へ少しだけ通います。ギリ板橋区。少し歩けば埼玉県和光市という、東武東上線の県境になります。

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南口右手のすずらん通り商店街を歩いていると、成増マーケットの看板が。これは闇市系マーケットの発見かと心踊らせながら潜入。

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ところが中は肉屋さんが一軒残るのみで、後はそのほとんどが沖縄居酒屋『島人』さんとなっていました。過去の画像を探したところ、東側入り口の右手にはお茶屋さんがあったようです。

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マーケットを西側に抜けると、すでに『島人』さんの看板しかありません。しかしかつては小規模な商店街だったのでしょうか。

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そんなことを思いながら島人さんで仕事終わりのビール。お疲れセット(カウンター席限定)が生二杯とおつまみ二品で1000円。冷奴が島豆腐なのが嬉しい。美味いものだからついつい三杯目と三品目まで頼んでしまいました。立ち飲みではありませんが、ここは帰りがけ毎日通ってしまいそうです。

(追記・2018年7月27日)
大泉学園の井頭泉緑地から流れる白子川のほとり、埼玉と東京のちょうど県境辺りでギリ埼玉県和光市に含まれる辺りを歩きます。

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荒川水系支流の谷間、かなりでかい旧家なんかがいきなりあったり。

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住宅街の中、立派な銭湯がありました。見事な唐破風屋根の入り口を潜れば昔ながらの銭湯建築。浴室に入ればこれまた見事な富士山のペンキ絵が目を引く。お風呂は天然石と溶岩石を組んだ岩壁から循環濾過したお湯が滝のように流れ落ちるという見事なもの。仕事の汗を洗い流しました。(地図)

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風呂上がり、坂を少し登ったところの角に小さなスーパーがあったので缶ビールでも買おうかと思ったところ、ちょうど近くの牛房バス停に成増行きのバスが来たので飛び乗り、結局『島人』でオリオンビール。疲れが取れます。

神奈川県横須賀市、観音崎の戦争遺構群(後編)

続きです。とにかく暑くて死にそう。

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山頂付近の尾根道を歩いていると途中、橋が掛かっています。その橋から下を覗くと、えらい深い切り通しが。ここは明治期の砲台建設の際、資材搬入などで使われたそうです。

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近くで見たいと下に廻って見たところ、立ち入り禁止の上に深い藪に覆われていました。

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頂上付近は児童公園でアスレチック施設などがあるのですが、そこここに赤煉瓦の土塁が顔を覗かせています。

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ここは腰越堡塁と呼ばれる砲台跡で明治29年竣工、大正14年除籍。

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最後に観音崎の北西側、海水浴場の少し上にある三軒家砲台跡を訪れました。入り口の門柱は当時のもの。

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坂を下って行くと左手に地下弾薬庫の入り口が。

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さらに下って行くと三ヶ所の砲台跡が。

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この砲台跡は27㎝カノンという当時最大の大砲を備えていたため、関東大震災後に復旧されて昭和初期まで使われました。

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そのためかここには当時の陸軍の迷彩塗装がはっきりと残っています。

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砲台と砲台の間には地下施設へ下る階段と赤煉瓦塀が見事に残っています。

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こちらの砲台跡にも鮮やかな迷彩塗装が。

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こちらも地下施設への階段。指令所などがあったのでしょうか。

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その証拠に地下からの指示が聞こえる穴が。潜水艦の声を通すパイプのようなものです。

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一番奥には観測所付属室が。中に入って見たい。

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砲台の背後にはこのような切り通しがあります。

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坂の上に弾薬庫があることから、ここを通って弾薬を運んでいたのでしょうか。

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三軒家砲台跡、観音崎海水浴場側の門柱。そんな訳で非常に内容の濃い戦争遺跡でした。この周辺にもまだまだ遺構が多く残されているのですが、いかんせん暑くってギブアップです。

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最後に汗を流そうと京急大津駅近くの銭湯、宮本温泉に立ち寄って来ました。3時オープンから30分しか経ってないのに地元の方々がすでに8 人ほど入られています。 (地図)

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温泉分析表などが見当たらないと思ったら、ここは温泉ではなく実母散薬湯という薬湯だそうです。ちなみに薬湯浴槽は露天風呂。見事なオレンジ色をしており匂いも紅茶っぽい。なかなか良いお湯で、サッパリしました。

神奈川県横須賀市、観音崎の戦争遺構群(前編)

三浦半島、横須賀の先の浦賀、観音崎に残る砲台跡などの戦争遺構を巡ってまいりました。

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観音崎は夏のレジャー真っ盛り。海に入る人やBBQを楽しむ人などで賑わっています。

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観音崎灯台は日本最古の様式灯台として1869年より点灯しています。だだし関東大震災などによって崩れているため、現在の灯台は大正14年に再建された3代目となります。この灯台の場所に文化9年(1812年)、最初の台場が造られたとか。

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その観音埼灯台をとり囲むようにして、いくつかの砲台の跡が残っています。東京湾の入り口でもある観音崎の砲台は元々、文化7年(1810年)より会津藩が台場と陣屋を築き、文政4年(1821年)に浦賀奉行所管理のもと、その後慶応4年から江川太郎左衛門が引継ぎ、明治以後は海軍省、そして陸軍省へと引継がれ、昭和20年の終戦まで管理されました。

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現在残る砲台跡の多くは明治〜大正期のもの。この北門第一砲台は明治13年(1880年)に着工されたもので、以降9ヶ所もの砲台が建設されました。砲座全面には巨大な御影石が。

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手前の塞がれた入り口は弾薬庫でしょうか。ちなみに観音崎の砲台は兵器の進歩や国際情勢の変化などにより、その多くが大正時代に廃止となりました。ここ第一砲台は大正4年除籍。

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こちらは観音崎バス停から少し登った所にある北門第二砲台。第一砲台と同じく明治13年着工で同17年竣工、大正4年除籍。

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もちろん大砲があるわけではなく、土台があるのみ。

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こちらも第二砲台。日清戦争や日露戦争の時には戦闘配備につきましたが、実際東京湾の入り口まで敵艦隊が攻め入って来る事は無かったので、実戦で発砲したことは無かったそうです。

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施設としては基本的に地下施設。指令所や弾薬庫などが、防空壕のような形で眠っています。年に数回ガイドツアーが開催され、その際には幾つかの鉄の扉が開かれるとか。

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海沿いまで降りてみると、遠く岬の突端にコンクリート造の廃墟が。これは潜水艦を砲撃するために潜水艦の音を探知して居場所を探る観測所で、こちらは第二次大戦中陸軍によって昭和12年に完成したものです。ただ岬の先端部分は現在防衛省の敷地(海上自衛隊観音崎警備所)で近付けず、よりによってこの日はデジカメを忘れて来るという失態。

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岬の南西側に廻ってみようと素掘りのトンネルを越えて行きます。このトンネル、鳶ノ巣台場(現在の観音崎警備所)建造のため嘉永5年(1852年)頃に掘られた横須賀最古のトンネルだとか。

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反対側に廻ってもやはり遠い。ipadでは無理があります。光学望遠レンズが欲しい。

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途中の海岸線には謎のコンクリート構造物が転がっていました。これも戦争関連の遺物でしょうか。

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再び山へと登って行きます。崎先端部の近くには、外洋を臨むようにして戦没船員の碑があります。海の日の観音崎はレジャー客で賑わい波は静かで平和な休日です。

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観音崎の山間部は全体が公園になっており、遊歩道が迷路のように張り巡らされています。戦没船員の碑の北側より海側展望台へと抜けるトンネルが。

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トンネルを抜けると左手に地下施設への入り口が。コンクリートで固く閉ざされています。

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展望台手前にあるのが北門第三砲台跡。

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こちらも竣工と除籍の時期は第一や第二と同じです。

後編に続く。
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