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板橋区成増、成増マーケット〜和光市の銭湯

今回は仕事で成増へ少しだけ通います。ギリ板橋区。少し歩けば埼玉県和光市という、東武東上線の県境になります。

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南口右手のすずらん通り商店街を歩いていると、成増マーケットの看板が。これは闇市系マーケットの発見かと心踊らせながら潜入。

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ところが中は肉屋さんが一軒残るのみで、後はそのほとんどが沖縄居酒屋『島人』さんとなっていました。過去の画像を探したところ、東側入り口の右手にはお茶屋さんがあったようです。

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マーケットを西側に抜けると、すでに『島人』さんの看板しかありません。しかしかつては小規模な商店街だったのでしょうか。

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そんなことを思いながら島人さんで仕事終わりのビール。お疲れセット(カウンター席限定)が生二杯とおつまみ二品で1000円。冷奴が島豆腐なのが嬉しい。美味いものだからついつい三杯目と三品目まで頼んでしまいました。立ち飲みではありませんが、ここは帰りがけ毎日通ってしまいそうです。

(追記・2018年7月27日)
大泉学園の井頭泉緑地から流れる白子川のほとり、埼玉と東京のちょうど県境辺りでギリ埼玉県和光市に含まれる辺りを歩きます。

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荒川水系支流の谷間、かなりでかい旧家なんかがいきなりあったり。

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住宅街の中、立派な銭湯がありました。見事な唐破風屋根の入り口を潜れば昔ながらの銭湯建築。浴室に入ればこれまた見事な富士山のペンキ絵が目を引く。お風呂は天然石と溶岩石を組んだ岩壁から循環濾過したお湯が滝のように流れ落ちるという見事なもの。仕事の汗を洗い流しました。(地図)

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風呂上がり、坂を少し登ったところの角に小さなスーパーがあったので缶ビールでも買おうかと思ったところ、ちょうど近くの牛房バス停に成増行きのバスが来たので飛び乗り、結局『島人』でオリオンビール。疲れが取れます。

神奈川県横須賀市、観音崎の戦争遺構群(後編)

続きです。とにかく暑くて死にそう。

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山頂付近の尾根道を歩いていると途中、橋が掛かっています。その橋から下を覗くと、えらい深い切り通しが。ここは明治期の砲台建設の際、資材搬入などで使われたそうです。

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近くで見たいと下に廻って見たところ、立ち入り禁止の上に深い藪に覆われていました。

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頂上付近は児童公園でアスレチック施設などがあるのですが、そこここに赤煉瓦の土塁が顔を覗かせています。

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ここは腰越堡塁と呼ばれる砲台跡で明治29年竣工、大正14年除籍。

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最後に観音崎の北西側、海水浴場の少し上にある三軒家砲台跡を訪れました。入り口の門柱は当時のもの。

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坂を下って行くと左手に地下弾薬庫の入り口が。

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さらに下って行くと三ヶ所の砲台跡が。

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この砲台跡は27㎝カノンという当時最大の大砲を備えていたため、関東大震災後に復旧されて昭和初期まで使われました。

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そのためかここには当時の陸軍の迷彩塗装がはっきりと残っています。

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砲台と砲台の間には地下施設へ下る階段と赤煉瓦塀が見事に残っています。

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こちらの砲台跡にも鮮やかな迷彩塗装が。

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こちらも地下施設への階段。指令所などがあったのでしょうか。

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その証拠に地下からの指示が聞こえる穴が。潜水艦の声を通すパイプのようなものです。

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一番奥には観測所付属室が。中に入って見たい。

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砲台の背後にはこのような切り通しがあります。

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坂の上に弾薬庫があることから、ここを通って弾薬を運んでいたのでしょうか。

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三軒家砲台跡、観音崎海水浴場側の門柱。そんな訳で非常に内容の濃い戦争遺跡でした。この周辺にもまだまだ遺構が多く残されているのですが、いかんせん暑くってギブアップです。

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最後に汗を流そうと京急大津駅近くの銭湯、宮本温泉に立ち寄って来ました。3時オープンから30分しか経ってないのに地元の方々がすでに8 人ほど入られています。 (地図)

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温泉分析表などが見当たらないと思ったら、ここは温泉ではなく実母散薬湯という薬湯だそうです。ちなみに薬湯浴槽は露天風呂。見事なオレンジ色をしており匂いも紅茶っぽい。なかなか良いお湯で、サッパリしました。

神奈川県横須賀市、観音崎の戦争遺構群(前編)

三浦半島、横須賀の先の浦賀、観音崎に残る砲台跡などの戦争遺構を巡ってまいりました。

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観音崎は夏のレジャー真っ盛り。海に入る人やBBQを楽しむ人などで賑わっています。

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観音崎灯台は日本最古の様式灯台として1869年より点灯しています。だだし関東大震災などによって崩れているため、現在の灯台は大正14年に再建された3代目となります。この灯台の場所に文化9年(1812年)、最初の台場が造られたとか。

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その観音埼灯台をとり囲むようにして、いくつかの砲台の跡が残っています。東京湾の入り口でもある観音崎の砲台は元々、文化7年(1810年)より会津藩が台場と陣屋を築き、文政4年(1821年)に浦賀奉行所管理のもと、その後慶応4年から江川太郎左衛門が引継ぎ、明治以後は海軍省、そして陸軍省へと引継がれ、昭和20年の終戦まで管理されました。

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現在残る砲台跡の多くは明治〜大正期のもの。この北門第一砲台は明治13年(1880年)に着工されたもので、以降9ヶ所もの砲台が建設されました。砲座全面には巨大な御影石が。

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手前の塞がれた入り口は弾薬庫でしょうか。ちなみに観音崎の砲台は兵器の進歩や国際情勢の変化などにより、その多くが大正時代に廃止となりました。ここ第一砲台は大正4年除籍。

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こちらは観音崎バス停から少し登った所にある北門第二砲台。第一砲台と同じく明治13年着工で同17年竣工、大正4年除籍。

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もちろん大砲があるわけではなく、土台があるのみ。

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こちらも第二砲台。日清戦争や日露戦争の時には戦闘配備につきましたが、実際東京湾の入り口まで敵艦隊が攻め入って来る事は無かったので、実戦で発砲したことは無かったそうです。

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施設としては基本的に地下施設。指令所や弾薬庫などが、防空壕のような形で眠っています。年に数回ガイドツアーが開催され、その際には幾つかの鉄の扉が開かれるとか。

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海沿いまで降りてみると、遠く岬の突端にコンクリート造の廃墟が。これは潜水艦を砲撃するために潜水艦の音を探知して居場所を探る観測所で、こちらは第二次大戦中陸軍によって昭和12年に完成したものです。ただ岬の先端部分は現在防衛省の敷地(海上自衛隊観音崎警備所)で近付けず、よりによってこの日はデジカメを忘れて来るという失態。

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岬の南西側に廻ってみようと素掘りのトンネルを越えて行きます。このトンネル、鳶ノ巣台場(現在の観音崎警備所)建造のため嘉永5年(1852年)頃に掘られた横須賀最古のトンネルだとか。

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反対側に廻ってもやはり遠い。ipadでは無理があります。光学望遠レンズが欲しい。

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途中の海岸線には謎のコンクリート構造物が転がっていました。これも戦争関連の遺物でしょうか。

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再び山へと登って行きます。崎先端部の近くには、外洋を臨むようにして戦没船員の碑があります。海の日の観音崎はレジャー客で賑わい波は静かで平和な休日です。

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観音崎の山間部は全体が公園になっており、遊歩道が迷路のように張り巡らされています。戦没船員の碑の北側より海側展望台へと抜けるトンネルが。

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トンネルを抜けると左手に地下施設への入り口が。コンクリートで固く閉ざされています。

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展望台手前にあるのが北門第三砲台跡。

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こちらも竣工と除籍の時期は第一や第二と同じです。

後編に続く。

神奈川県湘南地区、藤沢、辻堂、茅ヶ崎など

仕事で湘南方面にちょいちょい行く事があり、仕事帰りに立ち寄ったところなど、少しまとめてみます。まずは辻堂。

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辻堂駅の北側は日本電池、関東特殊製鋼、パナソニックなどの巨大工場が次々閉鎖され、その跡地が再開発されています。今では巨大なショッピングモールとマンションが建ち並び、街の景色も一変。そんな整備された街の大型マンションの脇に古い銭湯を見つけました。しかしどうやらすでに廃業されているようで、夕方になっても表のシャッターが開く事はありませんでした。建物の脇には燃料となる廃材が積み上げられたまま。昔は工場労働者の憩いの場となっていたのでしょう。

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すっかりベッドタウンと変貌し続けていますが、北口の東側外れに商店街の跡が。まだ数軒の店舗が残っていますが、後継者不足のためかなりの店が閉めてしまったそうです。

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そんな商店街を10分ほど歩いた一番奥、昔から住まれている住宅街の中に一軒の立ち飲み屋「キリン」さんがあります。

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マスターと週何日か手伝いに来ているママさんと姉さん。お客さんたちは地元の常連さんたちだけで、とても居心地がいい店です。

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創業10年。ママさんも以前は旦那さんとラーメン屋を切り盛りしていたそうですが、旦那さんが亡くなられて閉店。よく飲みに来ていたこの店で働くことに。南口にも立ち飲み屋さんが二軒ほどあるようですが、私はこの店に通いました。

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次に藤沢。藤沢は以前藤沢飲食盟友会などを訪れていますが、今回は南口の立ち飲み。北口の丸井が潰れてビックカメラになったのに対し南口の江ノ電乗り場を兼ねてる小田急百貨店(西湘地区では通称オダヒャク)は健在。

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西側の外れ、なかなか良い雰囲気の建物は立ち飲みバル『サジスタンド』。名前もかっこいい。

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料理も手が込んでいて良い店なんですが、個人的には完全禁煙だったので無理。

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南口右手の雑居ビル、アツタビルの地下一階に立ち飲み屋『スタンド酒房ふじさわ紺屋』さんがあります。

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ここがまた地元の方々が集まる店で大盛況。ママさんと姉さん二人でよく捌けるなと感心しながら、カウンターの一番奥が辛うじて空いていそうだったので、無理矢理突入です。

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生350、割り物230〜290。揚げ物は2品以上注文となりますが 、生中、ウーロン割り、アジフライ、ハムカツ、締めて900円を切るという安さ。地下で目立たない上にイチゲンで入りづらい混み方ですが、この安さ故に地元の知る人ぞ集まるって感じでしょうか。

次に茅ヶ崎。北口にある市役所や市民文化会館の先に、巨大なイオンモールがあります。駅周辺の商店街などはことごとく駆逐されているかも知れません。

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そのイオンモールのもっと奥、JR相模線の北茅ヶ崎駅近くに、日帰り入浴施設の『湯快爽快』があります。相模線は1時間に2本程度しか走ってませんが、茅ヶ崎駅から1時間に2本無料送迎バスも運行されているので問題ありません。

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20周年と幟にある通り多少年季の入った建物ですが、途中リニューアルしているのか館内はとても綺麗です。
この湯快爽快は茅ヶ崎市の建築業者、亀井工業が1993年3月に茅ヶ崎の一号店をオープン。その後神奈川県内を中心に展開し、現在はフランチャイズも含め7店舗を営業しているそうです。(出典・Wikipedia)
ここは1500mで掘り当てましたが、折りしも掘削工事の進歩により1000mを超える大深度ボーリングが可能になって温泉事業の新規参入が急増した時代。1000mにつき1億と言われ温泉ブームの大波に乗った企業。茅ヶ崎だけに。

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お風呂の様子はオフィシャルサイトをご確認ください。
天然温泉浴槽は露天風呂で、薄茶色のお湯はナトリウム-塩化物強塩温泉。海が近いからかかなりしょっぱいですが、源泉が掛け流されているのか多少泡付きもある新鮮なお湯です。
源泉温度が28.6度。25度以上が温泉なので鉱泉(または冷泉)ではなく温泉です。循環濾過しながら加温しているのでしょうか、38〜39度と少々ぬるめに保たれているのは夏の盛りだからかも知れませんが、このぬる湯に長く浸かっていればジワジワと汗が噴き出て来て実に気持ちいい。
温泉成分が濃いいので多少のヌメリ感もあり、はっきりとした浴感。露天の傍らに腰を掛けて休んでいると、遠く湘南の海から渡る夕涼みの風が、仄かな潮の香りを含んで火照った体を冷まします。
湯上りは休憩所で生ビール。至福のひと時。なかなか期待を上回る、素晴らしい日帰り入浴施設でした。

千代田区神田(4)、2019年3月で消えてしまうガード下迷宮

かつて神田で働くサラリーマンや地元の方々に愛され賑わっていた、大衆食堂(居酒屋)の升亀さんや大越さんが並んでいた、神田駅南口西側のガード下。升亀は2013年にオーナーが母親の介護をするため店を閉め、大越は2016年末に耐震補強工事に伴い退去、スタッフの高齢化もありそのまま閉店となりました。下の写真は2015年当時、すでに升亀さんが消えた後の様子。

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私は年に一度必ず、神田で健康診断を受けているのですが、升亀さんと大越さんは健康診断が終わった後の昼間からから飲める店と言うことで、とても重宝してました。あの、店員にジジィとババァしかいないって所とか大好きだったんですが。

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現在は耐震補強工事も終わり、升亀跡地に大型チェーン店の日高屋が建っています。

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しかしさらに右手、東京駅側に狭い入り口とエアコンの室外機がみっちり詰まったガード下店舗が残っています。

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カウンター1本のみの狭いスナックや小料理屋が軒を並べているんだろと思い、右から二番目の「大安」の看板の下を開ける。開けてみてビックリ、なんと奥へと続く通路があり、その両脇に4つのカウンターバーやスナックが!

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右手二番目の暖簾を潜るとL字カウンター1本の狭いスナック的な店「佐々文」さんが。メニューにコーヒー割が有ったので頼んでみると、金宮焼酎にコーヒー豆を浸けるという、いつも通っている新橋の「南」と同じ作り方。ただ南はひと月浸け込んだものを水で割るのに対して、ここは2~3日寝かせた物をロックで。さらに通は生クリームを舐めながらと常連さんに教えてもらい、試してみると、これがまた合う。またここで割り物を頼むと25度の金宮で濃いめに作ってくれます。この店、通います。

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通路の奥はビニールで仕切られ、その奥には居酒屋があります。一応店の体をなしていますが、床はまさに路地裏と言った感じの石タイル張り。しかもデコボコです。つまりここは本来ガード下を通り抜ける路地裏で、その通路の左右に何軒もの飲食店が軒を並べていたと言う形。

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この店は宮ちゃん、ふじくら。お通し300円。元々二つあった店の仕切りを取っ払って一つの店にしたとか。通路側のコの字カウンターと二つのテーブル席、奥に1本のカウンター。どちらかが宮ちゃんでどちらかがふじくら。そして左手のコの字カウンターの奥、左手にビニールシートの仕切りが。そこを入れば正面のガード、一番左手の「翠」と「かえる」の看板の下の扉に抜けられる。

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こちらは奥右手のストレートカウンター。そのカウンターの上にはデンモクが。なんとこの店、カラオケまであります。聞けば夜9時半以降、一曲200円で歌えるとか。普通にカラオケ居酒屋なのです。

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店の隅はガード下のアーチ型を思わせる斜めの壁となっています。カラオケは早い時間だと隣の店に迷惑掛かるからとのことですが、そもそも通路を挟むカウンターのみの4店舗とはヒラヒラなビニール一枚で遮っているのみなのですが!

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なんて言いながら結局常連さんたちと楽しくカラオケ熱唱してしまいました。なんとも楽しいお店です。

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トイレは通路の真ん中に共同トイレがあります。男子便器の間隔が狭く並ぶと肩と肩がぶつかる。ちなみに女子トイレは右手の扉。

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宮ちゃん及びふじくらの奥、突き当たりのカウンター右手には扉があり、出ると線路の東西を結ぶ車道に出ます。この展開、予想外。とは言えこのように現在では奥の二店舗が一つの居酒屋になっているので、実際通り抜けるのは気が引ける。

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線路下を南西から北東に抜ける車道には宮ちゃんの入り口、右に次郎長寿司の暖簾、3〜4年前に90過ぎのお母さんが腰を悪くして店を閉めてしまった立ち食い蕎麦「神田そば」。

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そしてさらに右手には立ち飲み「やったるで〜」さん。線路に対して斜めに横切るので意外と距離があります。右手奥に見えるのは神田駅南口の東側出口。つまりこのガード下は三角形の形をしております。

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立ち飲み「やったるで〜」さんは生380円、割り物250円、おつまみは100円の小皿から焼き鳥は2本セット200円と実に安い。お通し代を取らないながらもサービスで小さな柿ピーが出ます。[地図

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ここでもコーヒーハイを発見。ここのコーヒーハイはコーヒーが濃いい。

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店の奥の扉を開けると狭い路地があり、左に進むと右手にスナック「るり」を見つつ突き当たりに次郎長寿司。トイレはこの次郎長寿司のトイレが共同トイレとなります。扉を思い切って開けると寿司食ってる人の背中に当たるので注意。左に曲がって寿司屋のカウンターの後ろを通り抜ければ宮ちゃんの隣に出ますが、ここも通り抜けるには気が引ける。特にこのスナックるりはいずれ訪れて見たいと思います。なんでも寿司屋の奥さんが先代(義母)から引き継いだ店で、戦後の昭和22年からやってるとか。

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立ち飲み屋の裏口から右に行くと、線路下の立ち飲み屋角から北西に抜ける車道。絵に書かないと非常に説明し辛いのですが、まさに迷宮といった様相。

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しかもそれぞれ二階もありカラオケボックスが有ったりします。ここにはかつては赤線もあったという噂ですが、まだまだ全容解明には至りません。

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ところ変わって神田駅からさらに東京駅寄りに離れたガード下には、かつて今川小路という激渋飲み屋街が存在しました。上の写真は2015年当時のもの。

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まだ店には入った事が無くしばらく先送りにしていましたが、今回意を決して突入しようと行ってみたらなんと全滅。後で調べたところ、耐震補強工事に伴い去年(2017年)9月で退去させられていたようです(産経ニュース参照)。一歩遅かった!
上野の超有名店である大統領などは耐震補強工事で一旦ガード下の店を閉めましたが同時に近くに広い新店舗を造り、工事が完了するとまた元の場所に店を建て直しました。観光客でいつもごった返していた大統領は資金もあり後継者もいた事から継続できましたが、ガード下の多くの老舗は店員の高齢化や常連客の定年退職などで閉めてしまう店がほとんど。この神田駅南口のガード下三角地帯も2019年の3月をもって全店強制退去と言われています。私はその最後まで、この素晴らしいガード下飲み屋街を見届けようと思います。
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