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山梨県甲府市(2)、南銀座界隈の路地裏迷宮

甲府の続きです。甲府は盆地にコンパクトに街が整備されており、主要道路も都市部を抜けているためか、他の地方都市と違いモータリゼーションによるドーナツ化現象をあまり感じません。大型商業施設による商店街の衰退は見られるものの、他の地方都市に比べればだいぶマシな印象を受けました。これは扇状地である甲府盆地が、広大な穀倉地帯を持てない土地柄だからでしょうか。

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デパートのオカジマの向かい側はもう飲み屋街の弁天通り。現在はコロナ禍なので休業中がほとんどかと思われますが、廃墟感は全くありません。

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左手にはさっそくスナック長屋形式の路地裏飲食店街が目に止まりました。

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袋小路の新桜街。みな廃業しており辰巳さんも9月で店を閉めたとか。近々解体される予定だそうです。

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飲み屋街は奥へと歩くにつれスナックやキャバクラが増えて来て、やがて風俗店も目に付く歓楽街へと変わって行きます。

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年季の入った飲食店街の看板。長屋とビルに挟まれた路地に入っていきます。大通りとは大きく出たもんだ。

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広瀬大通りは昼間なので真っ暗。夜にならないと何軒の店が生き残っているのか把握しきれません。

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抜けると商店街に面した雑居ビルに繋がっていました。

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商店街を歩くと開発通り。ともすれば気付かず通り過ぎてしまいそうです。

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比較的新しい看板が目立ちます。それにしてもこのスナックの多さは尋常じゃありません。さすが県庁所在地。というか、山梨県て甲府以外に目立った都市が有っただろうか。

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昔の看板が路地裏飲食店街の歴史の古さを物語っています。

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途中からさらに分岐してオリンピック通り。こちらは脇道の入り口となります。前の東京オリンピック当時に出来たんでしょうか。

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こちらがオリンピック通りのメインストリート。

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二階建ての長屋に挟まれた路地に屋根を設置した造り。

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何軒の店が生き残っているのか、スナックがひしめき合っています。

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商店街側の出口。通り抜けると歓楽街に続いてます。よく見るとオリンピックのスペルが間違えている。

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歓楽街側に建つ二階建てのスナックビル。

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中はニュー銀座街と言うスナック街。通路はコの字形になってます。

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一番奥からビルの裏手へと抜けられます。

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抜けたらたき通りと言うスナック街。もうお腹いっぱいです。

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商店街の方に出て来ました。もはや迷宮です。

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町外れにあったひょうたん横丁。どこかのスナックビルが解体されて移転して来たのでしょうか、仮設感がすごい。

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最後に凄まじい屋根を発見。

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非常階段が入り口になっているようですが、店はもうやっていないみたいです。
以上で甲府の街歩きを終わります。緊急事態宣言が解除されたら、そのうち夜に訪れてみたいです。

山梨県甲府市(1)、新天地飲食街と駅周辺

甲府のスナック街について、最近インスタを通じて激渋な飲み屋街の存在を知りました。

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さすがに県庁所在地だけあり、甲府駅は綺麗に開発されています。

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まず最初に向かったのは栄えてない側である北口。かつては機関庫や車両基地がありましたがすっかり無くなっていました。その北口から歩いて10分ほど、街外れにポツンと飲食店街があります。

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新天街。今ではスナック二軒と寿司屋一軒のみ生き残っており、ほぼ壊滅状態にあります。

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周辺は飲み屋街でもなんでもなく、ただここにだけスナックが密集しています。ただ位置的には駅の西寄りから北に伸びる朝日通り商店街の最奥部に位置します。

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通り抜けるとこんな感じ。バラック長屋である事が伺えます。

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共同トイレの男子便所。壁しかない小便器(便器は無いけど)なんて久しぶりに見た。

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こちら成り立ちは戦後の昭和24年と言われています。現在コロナ禍で休業中ですが、一度夜に訪れてみたい。

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さて、栄えている側である南口へと向かいます。駅のすぐ近くに旅館、萬集閣があります。

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その脇に佇む喫茶、六曜館。ぜひ入りたかったのですが、残念ながら日曜日定休でした。

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甲府城の南には中心街の象徴とも言える地方デパートのオカジマがあります。

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コロナ禍のせいか元々なのか、商店街は閑散としています。

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商店街の東側、古いアーケードが。

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仲見世と言う良くある名前ですが、ビルとビルの間の路地を屋根で覆った形になってます。しかしここ、その歴史は古く、大正13年には仲見世商店街として開業していたとか。

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入り口のモデルガン屋さんとラーメン屋は現役ですが、中はこの通りほぼシャッター街です。

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路地は奥でL形に折れています。かつてはここに中央館と言う映画館があり、それを中心に屋台のような店舗が広がっていました。このようなビルになったのはずっと後の時代。

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看板を見る限り、かなり多くの商店で賑わっていたようです。

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一旦、商店街を外れます。甲府には幾つかの銭湯があり、その全てが温泉銭湯となってます。この都温泉、かつては両側に建物が建ち並んでおり、右脇の狭い路地から奥に入ると言う、素晴らしいアプローチだったようです。

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しかし今は普通に車も入れるようになってます。こちらのお湯は無色透明無味無臭、一瞬温泉であるか疑ってしまうほどの無個性なお湯ですが、番台にちゃんと温泉成分分析表が掲示してありました。

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都温泉から南へ。遊亀公園の裏手に新遊亀温泉があります。こちらのお湯は紅茶色。無味無臭ながらも多少のヌメリ感。浴槽は三つあって奥の右手が熱め、左手が普通、そして二つの浴槽から中央手前の浴槽にお湯が流れ込みぬるめの浴槽と鳴っております。ただ驚くべきはダバダバろ注がれるお湯がそのままオーバーフローして流れ出ている事。つまり循環濾過ではなく源泉掛け流しなんじゃないかと。しかも黒い湯花と思われる浮遊物が大量に漂っている。まさか銭湯でこんな素晴らしいお湯に巡り会えるとは、思ってもいませんでした。
そんな訳で次回はスナック街を巡ります。

埼玉県流山市、保存車両とみりん工場

記事を書き始めた段階で間違えて公開してしまいました。恥ずかしい。
意外と債務の返済が前倒しに進んでいるつくばエキスプレス。流山セントラルパークと言う駅名はさておき、秋葉原から30分足らずで開発途上の自然豊かな土地に到着。現在の秋葉原始発が東京駅まで延伸される計画もあるし、つくばエキスプレス沿線はまだまだ伸び代が有ります。

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駅前には何もないです。ただ人口が増えて行けばコンビニぐらいは出来るかも。

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さて、流山セントラルパークについて触れても話が続かないので、さっそく流山市総合運動公園へ。水運で栄えた流山市の江戸川沿岸にはキッコーマン流山工場が有ります。そのためか公園にはキッコーマンアリーナが有ります。

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ため池と湿地と雑木林、そんな公園の片隅に保存車両は有りました。

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左手には蒸気機関車のD5114が展示されています。近年まではだいぶボロボロになっていたようですが、大掛かりな改修と化粧直しによって綺麗な姿で保存されています。

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この14号機は昭和11年に汽車製造会社大阪工場で製造されましたが、1号機から13号機まで生産していた川崎車両より約一ヵ月早く完成してしまったので、実質初号機と言っていいです。

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この機関車は最初の4年を大阪で過ごし、その後北海道で1973年まで活躍していたそうです。

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右手にあるのは流山鉄道(現・流山電鉄)のガソリンカー。ガソリンカーと言えば足尾歴史館で復元され動態保存されていますが、大正時代から戦後に掛けて存在した自動車などのガソリンエンジンで動く車両。戦後、経済性や安全性が低い事からディーゼルエンジンによる気動車へと置き換えられて行きました。

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流山電鉄とは流山セントラルパークより西、江戸川沿岸の流山市中心部を走るローカル線。

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このキハ31は昭和8年から35年まで使用されていましたが、ガソリンが不足していた戦時中は蒸気機関車に牽引されて走っていました。また、昭和24年に路線が電化されてからはエンジンを外され、客車として使われ続いていたそうです。

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さて、つくばエキスプレスと乗り換えが出来ない流山電鉄へ。現在では西武鉄道の払い下げ車両が活躍しています。

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1916年開業の流山電鉄、歴代の車両たち。下段左から2番目には保存されていたガソリンカーの姿も。

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終点の流山駅。つくばエキスプレス沿線とは対照的に開発から取り残された旧市街感があります。何と言っても馬橋で常磐線に乗り換えて北千住から日比谷線で秋葉原まで合計50分掛かります。セントラルパークまでは30分足らずなのに。

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流山と言えば私などは世代的に千葉パイレーツ流山球場を思い出してしまいます。つまり千葉のド田舎のイメージ。ちなみにSuicaは使えません。

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流山駅からキッコーマン流山工場まで、かつて短い引き込み線がありました。ここはその廃線跡。

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ほんの数百メートルですが、昭和4年に開通して昭和44年に廃止となっております。

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戦前の引き込み線と工場。流山電鉄の役目として貨物輸送は大きかったのだと思います。

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川沿いにあるキッコーマン流山工場。ここではマンジョウ本みりんを作っています。その歴史は古く、江戸中期に堀切紋次郎なる人物がこの地で白みりんを作り出した所から始まります。
後の大正6年、野田の醤油醸造蔵が集まってキッコーマンの前身である野田醤油株式会社設立時、野田醤油の出資によって万上味輪株式会社が設立され、それが現在のキッコーマン流山工場。江戸、明治、大正と、野田の醤油に流山のみりんと言われ、その歴史が現在のキッコーマンに受け継がれています。
ちなみにみりん造りで必要だった塩は、大正6年に高潮で壊滅するまで本行徳の塩田から江戸川を遡って運ばれて来ました。

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小林一茶の支援者でもあったみりん醸造業の創業者の一人といわれる五代目秋元三左衛門の記念館。江戸時代みりんは甘いお酒として飲まれており、現在のような調味料として使われたのは明治以降。しかし今でもお酒として飲めるみりんも販売されています。以前、金宮のみりんなら飲んだ事があります。

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江戸川の対岸は開発されまくりの、アウトレットパークで知名度も上がった三郷。外環と常磐道が交差する三郷ジャンクションやJR武蔵野線があります。流山電鉄沿線は1970年代より宅地化が進んだものの、結局古くから歴史のある街を再開発するよりも、何も無い土地を開発した方が安く済む。と言う結論に至ったのでしょう。

足立区北千住(3)、千住龍田町のバラック群

9年前に訪れた千住桜木より散策して行きます。

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千住桜木は2012年1月に訪れています。

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同じ場所の現在の様子。右手のバラックが解体されてしまいました。

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当時、韓国人会館とその向かいに教会が建っている事から、この辺りに朝鮮部落が存在していたのではと思い訪問しました。

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こちらは現在の韓国人会館。改装されアパートのように利用されているみたいです。実際のところ足立区は皮革産業が盛んで、その労働力として多くの在日朝鮮人の方々が暮らしていましたが、特に部落を形成するような事は少なかったようです。とは言え墨堤通りを隅田川(旧・荒川)の堤防に見立てると桜木は堤外地となり、南へ行くと学校や工場、公園ぐらいしか無く、スラムが存在したのは確かなようです。

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千住桜木より南東に向かって墨堤(ぼくてい)通りが続いています。この墨堤とは江戸時代に築かれた旧荒川(現在の隅田川)の堤防です。関東大震災後、直線道路へと整備されましたが、現在でも通りは一段盛り上がった場所を通ります。

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その墨堤通り沿いの喫茶店モカさん。激渋純喫茶です。

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とても愛想の良いマスターに地元の方々が集う憩いの場所でした。

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喫茶店の裏手は土手の下なので少し低くなっており、半地下のスペースも有ります。

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墨堤通りを北千住方面に南下すると千住龍田町。ここにバラック長屋が残っています。

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周辺には町工場が多いので、その工場労働者の社宅のようなものだったのでしょうか。

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ここで感動するのがこの、木製の物干し。

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南面に連なる物干しには、かつて竹竿がかけられていたのでしょう。まさに現代に残る昭和の光景です。

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最後に付近で見かけた建物。
細っ!

台東区浅草(4)、浅草地下街

浅草地下街はメディアなどにも取り上げられ有名スポットになってしまったため、足が遠のいていました。

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とは言え、地下鉄銀座線から東武浅草駅への乗り換えの際に常々気になっていたこの地下街も一度は撮って置かないとと思い、にわかに仕事が暇になったのを機に訪問。

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改札を出ると左手に立ち食い蕎麦。ここが地下街の入り口となります。

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約80m続く地下街には飲食店をはじめ床屋や雑貨店などがありますが占い店などもちらほら。観光客を意識している部分もあります。

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コロナ禍で休業の店も多く昼間から薄暗くなっていますが、コロナが明けたらこの界隈の飲み屋なんかを開拓してみたいですね。

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地下街の奥は行き止まり。昭和30年開業の浅草地下街ですが、当時ここからさらに300m先の浅草寺本堂東側の二天門手前まで続く第二参道計画があったとか。しかし、商店会の反対を受けて中止されたそうです。どこまで掘り進んでいたのかは不明。

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突き当たりの手前を左に入れば地上に出れます。

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地上に出ればアーケード商店街。雨に濡れずに買い物が出来ます。
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