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神奈川県横浜市、永楽町の温泉銭湯〜寿町のドヤ街再訪

横浜市営地下鉄伊勢崎長者町より少し歩いて永楽町。横浜の市街地には温泉銭湯が幾つかあるようです。

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住宅や小さな町工場、倉庫などがひしめく下町っぽい街中に永楽湯があります。

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モザイクタイルに描かれた屋号が渋い。

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中はかなり歴史を感じる銭湯。ロッカーの鍵が三分の一も無いのは、常連客が持ち帰っているからでしょうか。
浴室もよくある昔ながらの銭湯建築。普通のお湯の浴槽が二つと、少し小さめな加温鉱泉浴槽が二つ。そのうち一つは立ち膝で肩が浸かる程の深い浴槽。
大田区や川崎市同様の黒湯は温度は42度でちょうど良い湯加減。微かに塩素消毒臭を感じるぐらいの無臭で多少の塩気。しばらく浸かっていると汗が止まらなくなります。湯上りはポカポカで、寒い冬には有り難い。

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銭湯を出て根岸線石川町方面に歩いてゆくと簡易宿泊施設、いわゆるドヤがチラホラと見え始めて来ます。

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やがて寿町の飲み屋街が。この日本三大ドヤ街の一つである横浜寿町を訪れるのも、4〜5年ぶりぐらいでしょうか。

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以前は昼に訪れましたが、夜はより一層怪しい雰囲気。並行する二本の車道に挟まれて、中央を狭い路地が貫いています。

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さすがにここは飛び込みで入る勇気が無かった。しかし、いつかは突撃してみたい。

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飲み屋街を抜けて驚いたのは、寿労働センター(職安)が建て替え工事をしていた事。かつての焚き火で煤けた天井も見ることが出来なくなってしまいました。ちゃんと写真撮っておけば良かった。

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日も暮れてすっかり暗くなってしまいましたが、寿町は相変わらずの異世界。

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ただ、多くの簡易宿泊施設が老朽化のため建て替えていました。普通のマンションを建てても売れないからか、建て替えても引き続き簡易宿泊施設を続けています。

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石川町寄りまで歩いたところにある酒屋「山多屋酒店」さん。ここの隣が角打ちとなっています。

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勇気を振り絞って突入。瓶ビールとカニカマ(100円)。この侘しさに痺れる。

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お爺さんとお婆さんが酒屋、ちょっと強面の親父さんが角打ちを担当。常連さんたちがワンカップ片手にまったり相撲観戦。ドヤ街の日常です。次回は居酒屋に突入して、常連さんのお話なんか聞けたらなぁ。

【日記】横浜市旭区二俣川の立ち飲み「じぇんとるまん」

現在、相鉄の二俣川に仕事で行っており、帰りがけに横浜駅西口ジョイナス裏の立ち飲み「ちょい呑み亭」に立ち寄ったりしていました。

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横浜から急行でひと駅の二俣川。平成31年度下期には湘南新宿ラインに乗り入れて新宿まで、平成34年度下期には地下新線で東急東横線日吉駅に接続と、地価高騰を見越して今相鉄が熱い。とはいえまさか免許センターしかないような二俣川に、立ち飲み屋なんて無いだろうとばかり思っていました。

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ところがどっこい、あったんですよこれがまた。
立ち飲み「じぇんとるまん」さん。桜木町の本店を中心に三ツ境、天王町、新杉田、横須賀中央、二俣川、系6店舗を展開する小規模チェーン店。桜木町本店は以前探索した市営地下鉄の駅ビル地下にあるそうですが、

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生中390円、割り物250円と、割りかしリーズナブル。

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ポテサラ(200円)にはフライドガーリックが散りばめられており嬉しい。神奈川的にはこれにソースをかけて決まりです。
この「じぇんとるまん」、そのうち桜木町の本店にも立ち寄ってみたいところ。

【正月特別企画】回顧録・昭和の鉄道旅

あけましておめでとうございます。

正月はどこ行っても正月料金で高くつく。という事ですっかり寝正月でしたが、暇だったので押入れを漁ったりしてました。その時古いアルバムなどを開いてみたのですが、乗り鉄だった当時の写真が懐かし過ぎて、思わずセブンイレブンの複合機でスキャンし、デジタル化してしまいました。

昭和60年(1985年)の夏。当時高校2年生だった私はバイトしたお金で青春18きっぷを4冊買い、およそ18日間野宿とビジネスホテル泊と夜行鈍行泊を繰り返して各駅停車による日本一周の旅に出ました。
当時の記憶が非常に曖昧なのですが、一つの記録として写真をアップします。オリンパスOM-3にはモノクロを、OM-4にはカラーネガを入れて撮影しましたが、あまりに点数が多いため厳選します。

すいません、今回は鉄一色です。説明不足しまくりです。

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日本一周は時計周りで。宿泊費や野宿の回数を減らすために極力夜行鈍行で距離を稼ぐ。大垣行きの夜行を名古屋で降りて紀勢本線へ。写真はすれ違った特急南紀。

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紀伊勝浦-湯川間の湯川川橋梁にてEF15。当時から古い物が好きで、廃止の危機にある車両を主に追ってました。

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ここは湯川潟の入り口でしたが川原に三脚を立てていたところ、満ち潮で海水が見る見る迫って来て焦った覚えがあります。

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新宮より紀勢本線の夜行鈍行に乗車。EF58+12系+10系寝台。

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翌日は和田岬線の旧型客車を訪ねました。木場みたいに材木が浮かべてある光景なども、今では見られないのかも知れません。

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工業地帯への通勤客を乗せるためにシートを取り払った車内。今考えると衝撃的な列車でした。

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記憶が曖昧ですが、岡山で宿泊して宇高連絡船で四国に渡り、徳島を回って土讃本線の夜行鈍行にて高知へ。この時代、日本各地に夜行鈍行(又は快速)が走ってました。当時は一日2000円の青春18きっぷさえあれば、どこにでも行けた。

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数日飛ばして宮崎。日豊本線を走る寝台特急富士。しっかり撮り鉄もしてました。

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恐らく大隅線のどこかの駅にて(志布志?)、キハ26 455。大隅線はこの二年後の1987年に廃止されます。枝線は省いてとにかく海沿いの国鉄路線で一周したわけですが、今思えば時代として赤字路線が次々と廃止されていく直前のタイミングでした。

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最南端の指宿枕崎線西大山駅を訪れ、また日にちが飛びますが、日本最西端の駅、旧国鉄伊万里線の平戸口駅。だと思います多分。

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門司から福知山(豊岡?)まで、当時日本最長区間を走る山陰本線の824レに乗りました。一日中乗り続けてまぁよく飽きなかったなと。デッキの扉を開けて床に座り、餘部鉄橋で下を覗いて怖えーなんて言ってました。

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途中鳥取駅にて快速わかとりライナーを撮影。それよりも奥に写るキロ28が!

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追い越してゆく特急まつかぜ。何駅で撮ったかは全く覚えておらず。

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多分、宮津線か、もしかしたら舞鶴線のどこかの駅。場所を覚えてないのが悔やまれますが、ホームが無いという衝撃。多分短いホームからはみ出していたかなんかだと思いますが、ホームが無いて!

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あまり写真を撮っていなかった北陸本線、越後線、羽越線、奥羽本線、五能線など諸々すっ飛ばして、いきなり弘南鉄道。16歳(当時)がまた渋い趣味をしている。ガラガラと家の玄関の引き戸のように手で開けるドアに驚きました。本当にガラガラガラという音がした。

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とはいえ走っている時ぐらいドア閉めやがれ!と、少年はカルチャーショックを受けるのでした。

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青函連絡船で函館に渡り、函館本線の夜行鈍行41レで札幌へ。奥に見えるのが夜行急行大雪。

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当時はお座敷車両なんかも連結してました。

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名寄本線弘道駅。枕木を並べただけの、北海道特有のプラットホームにも衝撃を受けました。

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標津線のキハ22 116。何駅かは思い出せません。今ではその殆どの路線が廃止となり、一周なんて全く出来なくなってしまいましたが、当時は辛うじて可能でした。
函館本線〜留萌本線〜羽幌線(廃止)〜宗谷本線〜稚内〜天北線(廃止)〜宗谷本線〜名寄本線(廃止)〜湧網線(廃止)〜釧網本線〜標津線(廃止)〜根室本線〜東根室〜根室本線〜石勝線〜室蘭本線〜函館本線。

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函館本線は大沼公園を走る急行ニセコ。マニ50が時代を感じさせる。

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函館の市電。この514型は1992年、東雲線の廃止により廃車。

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東北本線の場所はどこだか分かりませんが、寝台特急ゆうづる。ギチギチのスケジュールだった割には、結構いろんな所で降りて撮り鉄してましたね。

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盛駅にて岩手開発鉄道のDD43。同年3月には廃車となっていたので、留置されて半年過ぎた姿だったようです。

以上、昔の鉄の話に長々とお付き合い頂き、ありがとうございます。
最後におまけ。
私のホームグランドだった根府川鉄橋にて。

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カートレイン。
渋い!
20系だし!

【年末スペシャル】記憶に残った情景(2017総集編)

毎年恒例となっています今年一年の締めくくり、記憶に残った情景総集編です。

今年は去年の年末に訪れた埼玉の廃村を引きずってのスタート。廃墟サイトでは有名な白岩集落探訪から始まりました。

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運転免許を持っていない私にとって写真を撮りに行くに際し、公共交通機関がどこまで走っているかと言う問題が常にあります。その点この白岩集落は歩く距離としての限界を更新しました。往復1時間近くでしかも山道。登山する方にとっては普通ですが、散歩レベルでは開き直りが必要です。しかしこの経験から行動範囲が広がったのは確か。道無き斜面を登るスキルも磨いた。
情景としては去年の山掴や栗山集落ですでに衝撃を受けていましたが、なかなかここも痺れました。

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今年の記事を振り返って見ると、ひたすら飲んでばかり。インパクトのある光景にはあまり出会わないまま夏を迎えます。そして北海道。去年、連続台風で8月には水没してしまったダムに沈むアーチ橋、タウシュベツ橋梁にリベンジ訪問。予想以上の迫力に圧倒されました。

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翌日、帯広〜釧路間を久々に鈍行列車で移動。帯広では暑いくらいに晴れていたのに、峠を越えて海沿いに出た途端に肌寒い濃霧。しかも一条の線路以外何もないという、まるで異世界に飛び込んでしまったような衝撃でした。

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実に久々の都内街歩き。北千住の飲み屋の多さに驚きながら、徐々に再開発されつつある路地裏に注目しました。特にこの駐輪場に一周囲まれてしまったバラックは酷い有り様。

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夏は奥日光温泉へ。温泉に入れるお寺の温泉寺に立ち寄りました。朝イチ入ろうとしたら加水されておらず80度の源泉がほぼそのまま。泣きながら加水&湯もみをするという経験も、後から考えると楽しいものでした。

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奥日光の帰りにバスの窓から見えた足尾の光景が衝撃的過ぎて、一週間も経たない内に改めて訪れることに。足尾銅山関連の遺構は前々から気になってはいましたが、この目で見ると居ても立っても居られなくなりました。

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すっかり廃村マニアになってしまった私は、足尾で鉱山住宅跡ばかりを巡りました。更地となり石垣しか残っていない地区から木造の長屋がしっかり残っている地区まで、当時の繁栄を偲ばせるものを多く見ることが出来ます。

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数年ぶり仕事で横須賀まで通うようになったので、以前ちゃんと撮れなかったスナック街を改めて歩きました。11年ぶりでしたが、あまり変わっていない事に安心。

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夏も終わる頃、今年は隅田川の花火も行ってないなぁと言うことで熱海の花火大会へ。とても充実した小旅行でしたが、それに絡めて以前より行きたかった超ショートヘアピンカーブトンネルへ。ただのトンネルですがカーブと斜度が半端ない、まるでサザエの中みたいなトンネルです。もう笑うしかない。

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夏に訪れた足尾。藪が枯れて奥まで分け入れるようになるのを見計らって再訪。一部ネットで見ることが出来るものの基本的にはタブーとされる簀子橋堆積場を見るべく、今ではほとんど使われる事の無くなった登山道を登りました。鉱毒を貯めるためのダムという、そのレアな光景に色々と考えさせられます。

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秋も深まりを見せる足尾。まだまだ行けてない場所も多くありますがなにしろ遠いので、来年もまた行ければと思います。

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さて、今年の締めは九州。旧国鉄宮原線跡のアーチ橋群は周辺に広がる日本の原風景も含め、非常に印象に残るものでした。来た事のない場所なのに、学生時代の汽車旅を思い出させてくれる。

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杖立温泉の路地裏迷宮。なんと言うか、もはやファンタジーとも言うべき非日常的な光景の連続で、九州のネタの多さに驚くばかり。以前より行ってみたいと思っていた温泉街ですが最近メディアやネットへの露出も多くなり、メジャーになるにつれ行く気が失せかけていましたが、実際行ってみれば想像以上の衝撃で感動しました。

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天ヶ瀬温泉のオープン過ぎる露天風呂。ほぼ川という開放感以前に、全方向から丸見えという驚き。温泉文化のおおらかな一面を今に残す貴重なお風呂です。

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最後の締めは志免鉱業所竪鉱跡。これだけ巨大な廃墟が解体もされずに残っていたと言うのが凄い。しかも周辺は普通の住宅街。九州の底力を感じました。

と、言うわけで今年はネタが少ない一年でした。仕事が忙しかったと言うのもありますが、基本的には立ち飲み屋で飲んでばかりいました。しかし通いたくなる店や、実際通い続けている店など、多くの出会いにも恵まれました。

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大船の立ち飲み屋「倉庄」さんはとにかく楽しい店でした。夕方の4時ぐらいに暖簾を潜れば、もうすでに出来上がっているお父さんたちが。まさに地元に愛されている店で、しばらく通い詰めていました。ただ大船方面の仕事が終わってしまったら、いかんせん遠くて行かれない。

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横浜市桜木町の市営地下鉄ビルの地下飲食街にある「はなみち」さん。とにかく古くてボロくて大好きな店内。遠くて通いこそ出来ませんでしたが、なかなか衝撃的でした。

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新宿歌舞伎町の外れの外れ、副都心線東新宿駅も近い6丁目。飲み屋なんてもう無いだろうと思える裏通りに突如として現れる立ち飲み屋「中根商店」さん。串物は塩加減焼き加減ともに絶妙で、モツ煮込みはコンニャクも人参も豆腐も入っていないモツのみというもの。美味くて週何回も通っていました。

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そして今年一番の出来事と言っても過言ではないのが、新橋駅前ビル一号館地下飲食街との出会い。まったく楽しい飲み屋街で、特に「南」さんは今でも、これからもずっと通い続けます。もう常連の仲間入り。と言っても常連もイチゲンも分け隔てなくフレンドリーなお店です。年内にもう一度ぐらい行けたらいいなと思います。

そんなわけで、今年も当ブログにお付き合いいただき、ありがとうございます。
来年は今年以上に多くのマイナースポットを紹介出来ればと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
皆様よいお年を。

〜2014年総集編(旅行編)
〜2014年総集編(首都圏編その1)
〜2014年総集編(首都圏編その2)
2015年総集編
2016年総集編

北区赤羽(4)、桐ヶ丘中央商店街

このブログを始めら頃からずっと行こう行こうと思い続けながら先送り先送りにして来た場所。それがこの西が丘商店街です。ネタとして微妙と思っていたからに他なりません。

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赤羽から赤羽台に登って桐ヶ丘団地。赤羽郷バス停の交差点にこの中央商店街はあります。

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桐ヶ丘団地は戦時中まで兵器支廠赤羽根火薬庫がありました。戦後、赤羽台から桐ヶ丘、西が丘に至るまでの広大な旧陸軍の関連施設群の半分以上は、進駐軍の施設へと転用されて行きます。この進駐軍による米軍キャンプは段階的に返還されて行く訳ですが、その駐留は昭和46年まで続いたそうです。

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一方で兵器支廠赤羽根火薬庫の建物はそのまま仮設住宅へと転用され、戦火で住居を失った戦災者や外地からの引揚者、またこの地域にいた浮浪者や米兵上陸のあった沖縄からの転居者などが暮らすようになります。

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そしてただの倉庫という劣悪な環境で暮らす人々は、この地を第二の故郷にしようという思いから赤羽郷と名付け、今もバス停名としてその名前が残っています。

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昭和30年に最初の集合住宅が建ち、やがて高度経済成長の時代とともに都営住宅(赤羽台は公団住宅)がこの一帯に建ち並んで行く事となります。

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前置きが長くなりましたが、その桐ヶ丘団地の中心にあるのがこの桐ヶ丘中央商店街なのです。

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都営桐ヶ丘アパートE28A号棟とE28B号棟に挟まれる形で建つ商店街は、中庭を囲むようにして並んでいます。

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駄菓子屋さんや八百屋さんなどが生き残っていますが、現状はほぼシャッター商店街。

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団地住民の高齢化もありますが、そもそも商店を営んでいた方々が跡取りもおらず高齢のため辞めて行ってしまったと言うパターンが多いようです。

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因みに10年ほど前でしょうか、テレビ東京のモヤモヤさまーずが放送開始当時にここを訪れており、私もその放送でここの存在を知りました。放送以後、下町散歩系のサイトなどではそこそこ有名になり、特にオモチャと駄菓子を売る店にはいまだに多くの人が訪れているようです。

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商店は団地とほぼ同じ造りの長屋となっていますが、裏手に回ると普通の民家を付け足したような形となっています。

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こちらは西側。店舗は閉めても住んでおられるようです。
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